こんばんは、引退の時間です。
稀勢の里関が引退してしまいました。まだ映像は見られていませんが、WEB記事で会見の様子を確認し、泣けてきました。
「一生懸命やってきました」
この言葉に嘘がありましょうか。いや、ない。
「一生懸命相撲を取る力士、けがに強い力士を育てていきたい」って……読みながら鼻をすすり、帰りの電車に揺られていました。
けががなければ、どうなっていたんだろうなあ。悔いなしと言っていたけれど、きっと「ああだったら」「こうだったら」ということはいっぱいある。そう思ってしまう自分も含めて自分であると思えたのかなあ。悔いがないわけはないんだ、悔いなしというのはきっと語弊がある。ありのままいきます、みたいな気持ちだったのかな。
一生懸命だけではうまくいかないのです。報道をうっすらと聞いていると、取組について「ああしていれば」「こうしていれば」と相撲ジャーナリストたちが言っている。ハタから見ればそうなのでしょう。そしてそれが合っているのでしょう。どんなに一生懸命でも現場でそれができないというのは、どれほど歯がゆいだろうか。そうしたいのに、できない。できない理由がわからない。一生懸命、そうしようとしているのにできない。
私はというも、仕事がボロボロです。うっかりミスばかりで、信用がどんどん失われています。対策用のマニュアルをつくったり、ミスしたポイントをメモしたりしているのですが、ハッと気づいた時にはミスをしている。仕事ではなくおつかい、いや、おつかい未満。「はじめてのおつかい」に出演するキッズの方がよほど芸達者です。
次に自分が何をしてしまうのかが怖くて、行動が全然前に進みません。見直ししてもうっかりミスが出てくる。送信したいけれどなかなかボタンが押せなくて、エイヤで押してミス発覚。そんなことが続いています。
仕事へのプロ意識、どうやったら持てるのだろう。振り返ってみれば、社会人10年、プロ意識を持って働いていたことってあったんだろうか。常に責任逃れできるルートを探していて、何もできぬままここまできてしまったんじゃないだろうか。いや、確実にそうです。
稀勢の里関が引退できるのは、実績があるからです。3連敗しようとなんだろうと、横綱にまで上り詰めた。こんな立派な実績を収めているのはほんの数パーセントの人間です。引退しても、信用に足る実績と力がある。
私だって引退自体はできます。でもその後は何もない。実績も力もなにもない。そんな33歳に開かれた道はないも同然です。というか、ない。
引退しても大丈夫なくらいの何かを養わなければ。足りないのはわかっているのに、鍛え方となると根性論しか浮かんできません。どうやったら、しなやかに鍛えられるのだろう。明日が怖いです。すみません、今日は心底落ち込んでいます。