言いたいことやまやまです

仕事をやめ、誇りを持って主婦として生きることにした1985年生まれ。金儲け臭ゼロのブログで生きざまを書き綴っています。お金はいつでもほしい。

やままあき

Author:やまま (id:yamama48)

仕事をやめ、誇りを持って主婦として生きることにした1985年生まれ。
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目的のない散歩ほど無駄でつまらないものはない、のか?

出産に向けて体力づくりをしなければならないのですが、運動は昔から苦手です。

ひとまず毎朝30分のヨガは続けているものの、ほかにしていることといえば徒歩での買い出しくらい。

それを散歩と思い込むようにしていましたが、腕をぶんぶん振りながら歩いているわけでなし、ウォーキングにはほど遠いのが実態です。

 

この土日、東京のお天気は実に良好でした。

散歩日和だなあと思いつつ動けないのは、目的なく歩くのが耐えられないからです。

どこかでお茶をするとか、昼ごはんを食べるといったことをゴールにするのが手っ取り早いのですが、ただいま我が家は節約中。お金を使うことに抵抗感があります。

 

冷静に考えれば「たまに、1,000円程度のランチ外食をするくらいならいいじゃない」という答えを出せるものの、「たまに」の加減がよくわからない。

「ひとたび外食を許せば、また繰り返してしまうに違いない……」

「ほどほど」を探るのが昔から苦手で、「やるならやる、やらないなら一切やらない。オール・オア・ナッシング」で捉えてしまうくせがあります。

 

お金をかけなくても「公園の紅葉を見に行く」「近所を散策して知らなかったお店をリサーチしておく」「本屋でトレンドチェック」なんて具合で目的がつくれそうなもの!

しかしながら、景色の類は「ふーん」で終わってしまうので「目的」になりません(花火にすら感動しないこの心……)。

お店をリサーチしたところで「節約しなきゃいけないからどうせ行けやしない」とふてくされモードになることが見えているし、本屋さんでうっかり欲しい本など見つけてしまってもやさぐれそうです。

 

それでも、今週はあまりにも動いていなかったため、週末は無理やり目的をつくってでも散歩したかった!

思い当たった「目的」は、母から頼まれていた雑貨を買ってくることでした。

自宅から徒歩で30分くらいの距離のお店、これならちょうどよかろうと歩きはじめました。

道中には公園も多く、天気に恵まれていることもあってほんのり色づいた木々に癒やされ……ることもなく、ただひたすら、自分が決めたゴール(母のお使い)に向けて歩く30分間。

素敵なカフェや飲食店も散見されましたが、いずれも節約中の私とは無縁のものです。

もくもくと、重い身体をひきずりながら自然のなかを歩きました。

ようやっと着いた雑貨店に入るも、頼まれていたものが見当たりません。

店員さんに尋ねてみれば「季節ものなので受注生産なんです。予約もまだ受け付けていなくて……」とのことでした。

肩を落としながらお店を出たとき、身体はついさっきまでと比べて3倍くらい重くなっている気がしました。

 

ここから帰宅する気力がない……。

近隣のカフェなりに入って「自分にご褒美」の休憩でもとればよかったのですが、例の「オール・オア・ナッシングな自分」がそうさせてくれません。

時間はお昼どきとあって、「私が入りたくても(思い込みのせいで)入れないお店」に入っていく若者などが続々と視界に入ってきます。

自分の判断で外食を断念しているだけなのに、脳内には「お金にゆとりがあって好きなものを食べられるみんな」と「お金がなくてなにもできない自分」という対比構図が描かれました。

悔しくて、惨めで、身体もくたくたで……自分でも信じたくないけれど、近くの公園に入ってベンチに腰掛けたら涙が出ました。

はいはい、「悲劇のヒロイン症候群」ね……。

 

www.yamama48.com

 

このモードに入ると、もはや100円の缶ジュースを買うのも罪深く感じられてきます。

涙が出るほど辛い一方で、「もっと惨めになりたい」と思っている自分も感じます。

ある意味、自傷行為欲求なのかなあ。

 

お金が必要なら働かなきゃ、と思うとまた涙が出る。

責任を伴う仕事につくのがとても怖いのです。

でも賃金って、責任代みたいなもんだからなあ。

 

さすがに自分でも、自分の欲求ひとつひとつがあまりに矛盾していて、筋が通っていなくて、ひたすらにわがままで都合がいいものだというのはわかります。

なにもがんばらずにいい思いだけしようなんて、甘すぎる。子どもじゃないんだから。なにかしたいなら、なにかがまんしなきゃ。

 

結局その日はバスを使ってなんとか帰宅し、そのままベッドへ。

泣きながら「働いていないし、働けない自分」の悩みをSNSで愚痴っているうちに寝てしまい、ずいぶん長い昼寝になりました。

これが16歳の女の子ならかわいいもんですが、36歳のおばさんだからいたたまれない……。

 

落ち着いたところでスマホを見てみれば、大好きなブロガーさんからメッセージが届いていました。

 

頑張る必要ってどこにありますか??

「生活する為に頑張る」という固定概念をまずは疑ってみては?

生活するために頑張る、つまる生きるために頑張る。

頑張らないと生きてる価値はない。

そんなふうに考えるのは生きててもったいない!

生きてるだけで丸儲け!

 

バチッと目が覚めました。なんだこの名言は!

「生活する為に頑張る」という固定概念をまずは疑うだなんて、そんな考え方、したことなかった!

「欲しがりません勝つまでは」な、がんばる大国ニッポンに毒されすぎていた!

 

「がんばっているか、いないか」が人の価値に影響を及ぼすと、信じて疑っていませんでした。

がんばっている人は偉くて、がんばっていない自分は価値なし。

仕事をがんばっている夫は偉くて、お金を稼ぐ努力をしていない自分は価値なし。

それが当たり前だと思っていました。

 

いただいた提言に心打たれているのに、使い方がわからない未知のツールを手渡された感覚です。

使いたいけれど、使い方がわからない。

「がんばらないと生きている価値はない」という考え方を手放したい。

でもそれは単純に意味をひっくり返した「がんばらなくても生きている価値がある」ということではないと思うんです。

「がんばる・がんばらない」なんていう軸は、人の価値にまったく関係がないということをおっしゃっているはず。

 

ただ、自分のなかであんまりにも「いかにがんばっているか」と「人の価値」が癒着しすぎていて、いまは引き剥がし方がわかりません。

「無目的な散歩なんてできない」というのも、いまの自分がよく表れているのかもしれないなあ。

人生のミッションだったり、肩書きだったり、天職だったりするものが見つからないから、自分に価値がないと思っている。

 

ひとまずいまは、求人サイトを見ずに過ごしてみます。

やりたい仕事なんて、いまはないんです。焦っているだけでした。

「やりたい仕事」なんてものに憧れる自分を見下すのも、「大人はみんながまんして働いて生活しているんだ」なんて言って自分にがまんを強いるのも、がんばって働いている人を無駄に神格化するのも、いったん、やめよう。

 

立派な目的や大義名分がなくても、卑屈になることなく毎日を過ごす。

これを当面の目標にしてみます。