言いたいことやまやまです

2022年2月に出産した1985年生まれの主婦です。資料作成が好き。

育児日誌ブログ「母になっても言いたいことやまやまです」を毎週月曜日に更新中!

40歳になりました。「こんなはずじゃなかった」を繰り返したいま、子育てに想うこと

40歳になりました。

この10年、とくに35歳以降はライフステージもどんどん変わり、そういえばコロナ騒動もあり、あっという間でありながらとても濃い10年でした。

よく聞いていた話ではありますが、20歳、30歳を迎えたころに比べ、ずいぶん「楽」な気持ちです。

若い頃はこれを「肩の荷が降りた」とか「安定した」などと評するのだろうと思っていたものの、いざ迎えてみると、そんないいもんではありませんね。

「諦めがついた」という表現が適していると思います。

「相対評価」で価値判断をするようになってしまった20年

20歳になるまでの私は、私自身に過剰なまでの期待をしていました。

しかし就職活動以降の20年、「こんなはずではなかった」の繰り返し。

それしかなかった、と言っても過言ではありません。ことごとく、うまくいかなかった。

 

どこでどう間違えてしまったのかは思い出せませんが、20歳までの間に私が身につけてしまった「相対評価で自らの価値を決める」という考え方は、「悪の枢軸」と言ってもよさそうです。

たとえば

「100点を取るためにがんばる」ではなく、「学年で上位の点数を取るためにがんばる」。

「このスキルを身につけるためにがんばる」ではなく「この場の権威者に認められるためにがんばる」。

「きれいになるためにがんばる」ではなく「ブスだと思われないためにがんばる」。

といった具合。

一時が万事、このやり方でした。

 

そんな私に残っていたのは

「中身はスカスカな、でも字面だけはいい感じの学歴」
「美人ではないが、ブサイクすぎるわけではない見た目」
「見下されることがなかったがゆえの、変なプライドの高さ」

くらいのもんでした。

恋愛と婚活に勤しむことで、危機感から逃げてしまった

このことに早く気付き、意識改革ができたらよかったのですが、アラサーになるまで「ヤバイ」と思えなかった。

就活がうまくいかなかった時点で、もっと本気になるべきでした。

歳を重ねれば重ねるほど、失敗しづらくなる。失敗が恥ずかしくなる。

仕事がうまくいかなくなっては、逃げるように転職……を繰り返すことになるとは、20歳になるまでの私は予想だにしていませんでした。

だって!

糸井重里様のようにコピーライターとして名声をあげてエッセイを書くことになるか、ジェーン・スー様や犬山紙子様のように、ブログ等が注目されてエッセイを書くことになると信じてやまなかったのですよ!

(いまとなっては腹を抱えて笑うところ)

 

アラサーで一念発起できたらよかったのに、私はここで「婚活」に注力してしまいました。

30で結婚するためには、28から交際を始めなきゃまずいだろう!という謎の危機感によるものでした。

「彼氏すらいない」というのは、例の相対評価基準で「痛い女だからフリーなんだ」「性格が歪んでいるから独り身なんだ」と「思われてしまう!」という危機状況だったのです。

根拠もないし、実際に痛いし歪んだ女だからなあ……40歳になったいまとなっては、「事実から目をそむけるな!」と10年前の自分を引っ叩きたい。

 

さて、10年ちょい前は、いまのようにマッチングアプリなんてものはありませんでした。

見知らぬお見合いおばさんのところに駆け込み、婚活パーティーに毎週のように通い、並行してエキサイトの婚活サービスを利用して……という感じ。金ドブ活動でした。

 

20代というだけでかなり有利なはずなのに、惨敗を喫したのはある意味いい思い出です。

(幾度となくいろんなところで書いたり話したりしているので耳にタコの方もいらっしゃるでしょうが)

「あなたの人気順位」を提示される婚活パーティーに行き、ドベだったときの衝撃たるや、得も言われぬものがありました。

場を仕切りすぎたのです。それが正義、それが気が利くいい女だと勘違いしていた。

で、悔しかったのでもう一度同じパーティーに行き、カウンセラーの如く聞き役に徹したら、1位か2位くらいの人気者に……。

それで、ああもう婚活はいいや、という気持ちになりました。

つまらない話の聞き役に徹するなんて地獄です。

そうしないと見初められないなんて地獄の最果てです。

……と、決め込んでいる自分の考え方こそが地獄の向こう側って感じなのですが。

 

こうして仕事人としての自信も、女性という生物としての自信も、なにもなくなったのが30代前半。

だから雑な恋愛をたくさんしました。

これを恋愛コントにでも昇華できたらよいのですが、ドラマも笑いもない、本当に雑な恋愛でありました。

(とりあえず、同窓会の類にはもう行けない)

(これも自意識過剰なだけで、誰も何も私に思うことはないのだろうな……)

「私はなにもできない」を目の当たりにする

そんな時期を乗り越えて、いよいよ「仕事人としての価値がないと、ひとりで生きていくにしたってやばいんじゃないか?」と気づく。

しかしもう30代なかばです。

しかもやりたい仕事なんてない。

なにせ「コピーライターになってエッセイを書くか、ブログが注目されてエッセイを書くか」という夢ルートしか心に抱いてこなかったのです。

 

20代でのお仕事ライフを経て、コピーライターという仕事にガチンコで向き合うガッツが(もちろんセンスも)ないことを知ったし、注目されるようなブログを書く気合いと度胸もないことを思い知っていました。

やりたいことはない。でも、

学歴は(字面だけは)よく、
プライドは高く、
スキルはなく、
未婚、30代半ば、
見た目は芋(縄文系)。

救いようがないクソ人材です。

20代後半から続いていた「遅れてきたモラトリアム」が本格化していきました。

30代前半までは婚活等で気持ちを逸らしていたけれど、そちらがうまくいかなくなり、どっぷりモラトリアムです。

心療内科、カウンセリング、コーチング、催眠療法、各種集会、いろいろ行きました。

「エッセイストにはなれなくても、ブログで多少の収益を得られたら」という想いで、ブログ運営にも精を出したのもこの時期。

しかしこれまた、プライドが邪魔してアフィリエイトがうまくいかないのなんの……。

さらにはスナックのママ、伝統芸能への道、ポッドキャスト運営、電子書籍の出版 and more!

ハンドルネームを「迷走」にしたらいいんじゃないかと思うくらい、なにがなんだかわからなくなっていました。

いつも必死なのにそれがことごとくうまくいかなくて、文字通り、心が「必ず死に」ました。

我が人生の運をほぼすべて使った「結婚」と「出産」

そんななかにあっても、いまの夫と友だちになり、家族にしてもらったことは幸運の極みです。

私の人生の運の大半を、ここに突っ込んだのではないかとすら思います。

彼の支えがあったからこそ、自分の仕事にとことん悩めました。

「やってみて、諦める」ができたのは彼が衣食住を保証してくれたからです。

 

35歳を過ぎてからは、誕生日のたびに「タイムリミット」が気にかかるようになりました。出産の、です。

私は子どもが嫌いでした。

マクドナルドで隣の席にファミリーが来たら、席を移動するレベルでの嫌いっぷりでした。

だから出産なんてするもんかと思っていた。

私はばりばりと多忙を極め、稼ぎ、社会を回すんだと!

 

……それがどうでしょう、とんだ無能女でした。

子どもがいるわけでもないのに扶養されて生きる日々が情けなかった。

自分の存在価値はないと思うようになっていました。

ろくにがんばりもせず悲劇のヒロインヅラをするブスです。目も当てられない。

ABEMA TVの「悲劇のヒロイン症候群」特集に出演し、「ババア痛すぎる」と誹謗中傷を浴びて傷を深くしたのはこのころか。

 

いろんなきっかけはありましたが、そんな私が妊活を決意した理由のひとつは「存在していい理由が欲しかったから」です。

こんなことをXに投稿しようものならボコボコのボコ、フルボッコ以上の仕打ちが待っているでしょう。

クソ人間だと自覚しているなら、そんな理由で産むな、子どもが可哀想だという声が聞こえてくるようだ!

ただ……この人口減少時代、出産の機能を持つ生物として、せめてひとりだけでも人口を増やせたら、多少は存在価値が見いだせるのではないかと、縋ってしまったのです。

 

友人たちの厳しい妊活事情を聞いていたので恐怖ではありましたが、これまた強運を発揮し、驚くほどスムーズに妊娠~出産に至りました。

生まれてきた子どもは、親バカと言われるでしょうが、見た目も中身も非常に愛らしく、健康で、カツオくんのような頭の良さを感じるキャラクター。

可能性しか感じません。

子どもが大嫌いだったのが嘘のよう。

子どもの前で何度と無く、「私はあなたになりたい」と言っています。

(これを言うと、娘から「◯◯ちゃんが2人になっちゃうよ~」と返される。この返しもなかなか気が利いてるなと思ってしまう親バカっぷり)

そんなにも優れた、愛らしい娘であるにも関わらず、私の心身はすぐに限界を迎え、イライラしてしまう。

私が育てなければ、娘はもっともっとすごい人になれるんじゃないだろうか。

私の価値は「彼女を生んだ」ことだけであり、そこで手を離したほうがいいんじゃないか、と思ったりもします。

(しかし前述の通り、夫はすごくちゃんとしていますし、ご近所ネットワークもがんばって築いてきたつもり。いざというときは娘を守ってもらおう)

そんなこんなで40歳になり、諦めがついた

そんなこんなで、40歳になります。

(うざい話に付き合ってくだすってありがとうございました!あと少しだけ、話させてください。誕生日だから許して)

「私はきっとすごい人になれるはず」という信念を築き上げてきた20年間。

さらに20年かけて「んなワケねーだろ馬鹿」と言いながらぶっ壊してきました。

そう、いま、「無」です。

 

私は「なにかを生み出す仕事人」にはなれなかった。リセットされました。

ゆえに、気持ちよく、「消費するプロ」になっています。

仕事人としての自分には期待しない。

「何者か」になろうとした40年よ、さようなら!

これからの人生は消費することに全力をかける!

 

20年以上ぶりに、ゲームにドハマリしています。

推しのイケメンたちを見てはハートをギュンギュンさせています。

以前なら「そんなことしている場合じゃない」と罪悪感を持っていたところですが、40歳となった今、罪の意識ゼロで、推しの幸せを願い、SSRのイラストに卒倒しそうになっています。

2次元はすばらしい。毛穴もないし、加齢臭もないし、スキャンダルもない(中居くんの件で懲り懲り)。

 

仕事は、消費活動のためにお金が必要ですから、がんばります。

あくまで消費活動のために、がんばります。

私のスキルが云々とか、生業が云々とか、そういうのはもう十分です。

 

たかだか40年の人生を振り返ると、こんな感じです。

どう考えても幸せな環境にいるはずなのに、本人が幸せを感じていないという、すごく贅沢な人生でした。

一見ハイスペックの無能な年増母だからこそ、子育てママに言いたいことがある

こんな馬鹿な年増母の私だからこそ、ここで言いたいことがあります。

 

「自己肯定感」の教育についてです。

モンテッソーリ教育だ、STEAM教育だ、非認知能力だと言われて久しい日々。

受験で、そうした教育に手厚い学校にお子様を入学させようとしている親御さんはたくさんいらっしゃることでしょう。

私は、そうした教育が充実していることで有名な私立の小中学校に通っておりました。

ここまでの文章をご覧になって、私の生き様を見て、どう思いますか。

 

「自己肯定感を高める教育を施してくれる学校に通わせること」なんて、まったく、なんの意味も為さないケースがあると、おわかりいただけたでしょうか。

 

小学校受験は、親御さんもお子さんも非常に辛い想いをすると聞きます。

それほどの辛い思いをして入学させて、お子さんが私のような人間になったら、どうですか。虚しくなりませんか。

だから申し上げたい。無理はだめです。無理した先に幸せが待っている保証なんてありません。

 

そうそう、私は英語の成績も非常に優秀でした……中学生までは。

幼い頃から英会話教室に通っていたおかげでしょう。

しかし残念ながら、海外への興味関心が1ミリも湧かなかったのです。

英語をわかるようになりたい、話せるようになりたいというモチベーションがないため、いまとなっては一切英語が喋れませんし、わかりません。

だから「とりあえず」でお子さんを英語教室に通わせ、お子さんが楽しんでいる様子がないのであれば、辞めさせてあげてよいのではないでしょうか。

 

お子さん本人の「やりたい」の気持ちをキャッチすることが大事だと思います。私もそうあれるようにしたいと思っています。

小学生くらいになると、特に女の子は、お友達付き合いや体裁から「やりたい」と言い出すものも多数あるはず。私はピアノやお絵描き教室などがそれに該当しました。

それが「外部からの影響」のものなのか、「本人の心の声」なのか、見極められるようになりたいと思っています。

 

だらだらと書いてきましたが、40歳となり、3歳の娘(ひとりっ子確定)を育てながら、信頼できる会社にお仕事をいただける環境にあり、オタ活で心が忙しくてたまらないいま、私は幸せです。

生成AIを駆使して、同人誌でも書いてみるかなあ~