1月17日に放送された、TBSラジオ「安住紳一郎の日曜天国」。
受験シーズンらしく、大学入試に関するトークが繰り広げられた。
安住さんは大学受験で大変な苦労を重ねており、これまでにも幾度となく、「指定校推薦で大学に入った人を許さない」と断言するなど、受験に関するエピソードには事欠かない。
何度聞いても声に出して笑ってしまうほど面白い(失礼)のだが、この日話されたのは、おそらく初公開の「浪人生時代のご自身の受験勉強法」。
大前提としてメモしておくと、安住さんはテレビに映るさわやかそうな印象とは裏腹に、「エキセントリック孤独人~ときに寂しがり~」である。
ラジオではそのキャラクターがいかんなく発揮されており、今回のトークでも、浪人生時代に「卒業した高校の奴らがいるところでは勉強などできぬ」と、ひとり北海道から東京に出てきたものの、なんだか寂しくて・・・といった思い出が語られた。
さみしさのあまり
本当は寂しいのに、孤独に耐えながら勉強をしていた安住さん。
その寂しさは勉強法に現れたのである。
「架空のクラスメイト」を想像し、その子に教えるという形でノート・・・ではなくB5の便せんにメモを取っていたというのだ。
当日はスタジオに19歳のときの英語のノート(便せん)を持ち込み、一部分を朗読してくれた。
『現在から未来を推量するのも当たり前すぎて問題ありません。
それから、こういうのも案外やさしいんです。
「私は彼が病気かもしれないと思った。」”I thought that he might be ill.”
とかいうのも、時の一致で”may”が”might”になっているだけでいい。過去に思っていることだから。
「その時、彼は病気であるかもしれないと思った」ということだから、過去から過去を推量する。過去形助動詞+原形でいいんですね』
って書いてます(笑)。
※「miyearnZZ Labo」さんから引用させていただきました
・・・語りかけ口調!
これが便せんに、手書きでしたためられているのだ。
アシスタントの中澤有美子さんも笑いながら当惑し、「どう言葉をかけたら・・・」と呟く始末。
この勉強法はマークシート方式にまったく適しておらず、試験会場で愕然としたのだという。
その時に初めて、『あっ、勉強の仕方、違うぞ!』って気づいたんですね。
そっからまあ、急遽、自分のいまの力で入れる学校に出願し直すみたいな作業をしたんですけどもね。
私もさみしかった
ラジオを聴きながら、私は大いに笑った。
笑うとともに、己の勉強法を思って悔いた。
「私は、”もう一人の自分”に語りかけるノートを作っていたのだが・・・!」
高校生時代、塾に行くでもなく、夜な夜なひとりで勉強机に向かうことが多かった。
教科書を開き、読んでみれば、ただひたすらに冷たく、「~だ。~である。」という語調の文章が綴られている。
テレビをつけながら勉強しても、ラジオをつけっぱなしにしても、孤独感が拭えなかった。
寂しいけれど勉強はしなければならないので、無駄に教科書を朗読してみた。
ラーメンズのコント「読書対決」を装って、小林賢太郎さんのように無駄に滑舌よく、抑揚たっぷりに読んで、威勢よくページを捲ったりもした。
夜中に自室で、ひとりで。
それでもどうも、寂しい。
私は、その原因は教科書にあると思った。
なにしろ語調が冷たいのだもの。
歴史系なんて実に辛い。
歴史上の誰かに思いを馳せることもなく、熱なく、淡々と誰が死んだかが綴られているのだ。
夜中に見たイヴァン三世(たぶん)の写真が怖くて、眠れなくなったあの夜。
学ぼうとしている者を、もうちょっとこう、励まそうというか、師のまなざしというか、温かみを孕んでもいいじゃないか。
教科書許すまじ。
おまえになんて頼るもんか。
「私が、孤独に苛まれる私に、温かく教えてやればいいんだ!」
以来、私は「テスト直前の私のための教科書」をしたためることを趣味とした。
ただひたすらに、教科書をMicrosoft Wordで書き写していくだけなのだが、「温かさ」という演出に全身全霊を込めた。
「・・・というわけですね」
「・・・だと思いませんか?」
「こういうわけなので・・・」
「こんなことになるだなんて、びっくりしますよね」
といった具合で、教科書の冷たい「~だ」「~である」文を、さながらラジオ番組を書き起こすかのような気分で、己への語りかけ文章に書き替えていったのだ。
私は私の家庭教師となったのである。
見方によっては孤独の闇が深まっているのだが、おかげさまでひとつも寂しくなくなり、勉強、とくに世界史は全く苦ではなくなった。
テスト前にはそれをプリントアウトし、下敷きをかざすと文字の量のほうが少なくなるほどに暗記用緑マーカーを引きまくり、半ば台本を覚える役者のようなテスト勉強を以て試験に臨んだものである。
そのせいか、世界史の成績は、すこぶる良かった。
「私の家庭教師」は私に何を残したか
孤独な家庭教師ごっこの甲斐あり、大学にはスムーズに入学することができた。
評定平均と小論文試験のみの、自己推薦試験でね!
高校受験を経ていたのだが、それがもう死ぬほどつらくて、二度とこんな想いしたくないと思って、高校生活を真面目にコツコツ過ごした結果である。
前の項目で「参考書」ではなく「教科書」と書いていること、「模試」ではなく「テスト」と書いていることからお察しの方もおられただろうか。
安住さんがトラウマを抱えるほどのビッグイベント「大学受験」。
私はその荒波を避け、中間テストと期末テストに全力を注いだのだった。
されど、丸暗記した知識はテストのたびにすべて開放してしまっていた。
水を貯めたバケツはテストのたびに空になり、大学入学したときにはスッカラカンに。ああ、意味なし。
だから安住さんの「指定校推薦で入学した奴を許さない」という言葉は、少なくとも私の胸には深く突き刺さる。
あれだけ勉強したのに、いま持っている知識なんて「ドイツらへんは昔プロイセンという名前で、漢字1文字で表すと、普通の”普”」くらいしか残っていない。
そんなわけだから、大学生になってから今に至るまでずっと、一般入試を経て大学生になった人たちに対し、劣等感を抱き続けている。
あのときWordで作成した「俺式教科書」のデータは、私の外付けハードディスクに保存されている、はず。
安住さんのように過去の自分を見つめるハートの強さがなく、封印しきりである。
いま読み返したら、当時流してしまった知識を取り戻せるのだろうか。
そういえば、テスト前になると、クラスメイトの子が数名、(私がつくった私のための)教科書をほしいといってくれたなあ。
試験が終わるや否や、それが窓際に捨てられていたこと、覚えているよ・・・!
あ、でももしかして、今も誰かが持っている可能性なんてあるんだろうか。
うわあ、それはめちゃくちゃ恥ずかしいぞ。
私が必死こいて演じた「私の家庭教師」が残してくれたのは、もしかして、恥だけなんじゃなかろうか。