言いたいことやまやまです

仕事をやめ、誇りを持って主婦として生きることにした1985年生まれ。金儲け臭ゼロのブログで生きざまを書き綴っています。お金はいつでもほしい。

やままあき

Author:やまま (id:yamama48)

仕事をやめ、誇りを持って主婦として生きている1985年生まれ。我慢しない人生を送ろう!
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おしゃれ人間になる方法

 昔からファッションにはあまり関心がありません。

 コロナ禍に見舞われたり、妊娠したりですっかり外出しなくなってから、やっと「本来の自分」になれた気がします。トップスから下着まで、基本2着ずつを日々交代で着ているからです。

 物干しから外してそのまま着ればいいので、「畳んで、タンスにしまう」という手間がなくなりました。雨で乾かなければ、ここぞというときしか登場しない「3着目」が現れます。このルーティンは本当にラク! コーディネート検討に費やす時間と脳のメモリを別のことに回せます。

 

 そんな「本来の自分」になる前、それはそれは努力を重ねておりました。

 というのも私は「他人からどう思われているか」で生きる「相対評価マン」だからです。早く「絶対評価マン」に進化したいのですが、レベル上げが追いついておらず、37歳でやっと「まぐれでたまに絶対評価マンの技が使えるマン」くらい。

 

 とにかく、ファッションに興味はないのに「ダサい」と思われるわけにはいかない日々でした。

 自分のなかに「これが好き」「これを着たい」という評価基準がないので、他人の「これならダサくはない」というものさしをたくさんインストールしていく必要がありました。

 私の中高生時代にはスマホなどなく、まだまだ、ファッション誌全盛時代。はじめはSEVENTEENにプチセブン、高校生ごろにZipperとKERA、並行してnon-noやmini、大学に入ってからはsteadyあたりにお世話になったものです(赤文字系とはつくづく縁がない!)。

 

 まずは誌面で提案されているコーディネートをマネることから。そのままマネようにも高くて小遣いでは買えない服ばかりだったので、スーパーマーケットの2階にあるマダム向けアパレルコーナーで似たものを探すなどして工夫しました。

 少ないワードローブを最大限活用するべく、女性誌ではお馴染み「着回し30days★」のようなコーナーは舐めるように読んだ!

 

 しかしどうにもしっくりこないのです。

 参考にしていた着回しコーナーでは、少ない服でバリエーションを豊かにするべく、「カーディガンを上下逆さまに着る」などのテクニックが披露されていました。なるほどおしゃれに見えます。

 ところが私がやると、他人に「上下逆なのはボケなの? ツッコミ待ちなの? どう声をかけたらいいの?」と気を使わせてしまう出で立ちに。

 

 「そうか、私はモデルではなく一般人だから、このおしゃれっぷりに顔とスタイルが追いつかないのだ! 真似るべき人を間違えた! もっとよく読むべきだったのは街角スナップコーナーだ!」

 

 そう気づいてから、一般人のスナップページを食い入るように読みました。

 なるほどなるほど、ショートパンツのなかにスパッツ(いまだにレギンスと呼べない私)を着用するとおしゃれなのね! レイヤードなのね! 重ねてナンボよね! などと気づきを得るたびに真似ていくのですが、どうにも芋臭い。

 NIKEやadidasといったスポーツブランドのTシャツの中にロングTシャツを重ね着するなどの高等テクも、私が実践すると、体育の授業を行う教育実習生のよう……。

 

 そんな「ファッションセンスとの戦い」が日常の一部になっていた社会人2~3年目のころ、私はやっと「おしゃれとはなにか」という真理にたどり着きます。

 まだ深夜残業が当たり前だった職場で休日出勤をしたある日、左右で異なる靴を履いてしまっていたことがあります。

 疲れ果てていたのか、気づいたのは会社に着いてから。片方は赤、もう片方は黒。気づいてからは気が気でなく、帰り道はソワソワと、寄り道もせず自宅へまっしぐらでした。

 しかし思い返せば、原宿の街角スナップでも「左右異なる靴」を履きこなしているおしゃれさんがいたような? レイヤードスタイルといい、私と街角スナッパーは同じ格好をしているのに、なぜこうもオシャレ度に差がつくのか。

 その原因は「容姿の美しさ」「ファッションへの造詣の深さ」だと思い込んで20ウン年が経っていましたが、やっと気づいたのです。

 

 「おしゃれな人とは、自分が好きなもの、着たいものを着て、堂々と過ごす人のことだったのだ」と……。

 

 どのブランドの服であっても、色彩理論的に正しくても間違っていても、本人がその服やコーディネートを好んでいて、堂々としていれば、それは全部「おしゃれ」なのです。

 逆に「これがトレンド的に正しいとされているから……」という理由だけで着ている人(=私)はどこか自信がなさそうで、途端に芋臭くなってしまうのだと気づきました。

 直江兼続が「愛カブト」をかぶって教えてくれたことは、これだったのですね。

 

 つい最近、散歩をしていたら「帰ってゲームがしたい」と書かれたTシャツを着た少年に遭遇しました。メガネをかけた、色白で華奢な少年。あまりにも自然でした。

 真のおしゃれにトレンドもセオリーも関係ないのだと、我が子にはしっかり伝えていきます。

 

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今日のやままーケット「帰ってゲームがしたい」パーカー

少年が着ていたのは、この商品のTシャツバージョンです。

ほかにはどんなデザインがあるのか探してみたところ、私も「ぜひ、着たい」と思えるものを見つけました。

これです。ほしいなあ。

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