言いたいことやまやまです

有名人になりたかったけれどなれなかった30代半ばの凡人女による愉快な生存報告

やままあき

Author:やまま (id:yamama48)

仕事をやめ、誇りを持って主婦として生きることにした1985年生まれ。
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『輪る(まわる)ピングドラム』鑑賞/「愛されている自信」に守られている自分を知った

こんばんは、生存戦略の時間です。

最終話はとりわけ映像とBGMがうつくしくて、世界観に没入してしまって、観終えたあとボーとしてしまって大変でした。

『少女革命ウテナ』の幾原邦彦さんが監督をつとめた『輪る(まわる)ピングドラム』は2011年に放送されたテレビアニメです。

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第1駅 運命のベルが鳴る

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  • 発売日: 2017/12/24
  • メディア: Prime Video
 

幾原監督の作品は個性的で独特な世界観の作品が多く、本作も例にもれず。

かわいい絵柄とテンポのよい展開で楽しんでいるうちに徐々に暗い香りが漂ってきて、「これはなにかの暗喩なのか?」「なにを指し示しているのか?」と嫌でも考えてしまう作品でした。考察、解説好きにはたまらないと思います。

かく言う私はエヴァンゲリオンを筆頭に、難解な作品を読み解くのが苦手です。

作品に触れることは大好きなのですが、フワっとその世界観のなかに漂うことで満足してしまうのです。

著者や監督が込めた想いなどを紐解いたり、見解を述べたりすることができません。

それを人は馬鹿と呼ぶかもしれませんし、意図を汲み取ろうとしないなんて作品に対して失礼だという指摘もあるでしょう。

そのうえで、最終話鑑賞後の熱い想いだけで、「輪るピングドラム」視聴後のメモを残します。作品解説ではありません。この作品を鑑賞したことで刺激された私の自分語りです。

でも、割といいこと書いている気がするのでよかったら読んでいってください(笑)

 

『輪るピングドラム』に登場した「愛されていない」存在たち

思い出しながら涙が出そうになるのは「愛してる」「選んでくれてありがとう」ということばです。書きながら今もティッシュを引き抜きました。

記憶力もないので誤りがありそうですが、うろ覚え状態で思いのたけを書いてみます。

 

作中には、親に、兄弟に、家族に、世界に「愛されていない」人物が登場します。

みずからの存在価値を諦めて「透明な存在」になっていく者もいました(「こどもブロイラー」には震えました)。

普通の顔をして過ごしながらも、実は世界に絶望している彼らを救えるのは、富でも名声でもなく「愛してる」ということば、概念です。

それは「親から子へ与えられるもの」だと捉えられがちですが、実は血の繋がりはさして重要なことではないのですよね。『万引き家族』でもそうでしたが、「血の繋がり」と「絆」は別物です。

「私は愛されている」という自信

さあ、さっそく自分語りです(笑)。

私はネガティブで面倒くさい女だという自覚がありますが、それでも、根っこのところで楽観的な性質を持っていると思います。

たとえば、後ろで笑い声が聞こえたとしましょう。そうすると咄嗟に「私は他人に笑われている」と捉えてしまうのです。

スカートがめくれているんじゃないか、髪が変なことになっているんじゃないか、それとも何か変なことを言ってしまったのではないか……

他人はそれほど自分のことなど気にしてくれていません。ただの自意識過剰です。それでも脊髄反射で悲観的になってしまうのです。

かといってこのネガティブなを引きずるかといったら、そうではありません。なにせ心の根っこは楽観的なので、数日経てばきれいサッパリ忘れています。

この「根っこが楽観的」というのは、「愛されてる」という自信の証ではないかと思うのです。

親とべったり仲良しという過ごし方はしていませんが、生まれてこのかた、「両親に愛されていない」と思ったことは一度もありません。1秒もないです、きっと。

愛されていることはあまりにも当たり前で、「ああ、愛されているなあ」と実感することもありませんでした。空気のようなもの。

「愛している」「あなたは大切な存在」なんていう言葉をかけられなくても、これまでも、これからも、「私は愛されている」という自信はゆるがないでしょう。

「逃げる」を選べた

失礼極まりない告白をしますと、私はこれまでに「うつ病になってしまいたい」と思うことがありました。

夢のなかでも追いかけられるくらい、高圧的な上司と働くことに参っていた日々もありましたし、お付き合いしている人に連日言葉で問い詰められ、絶望感でいっぱいだったこともありました。

「そういうものは全部、自分が心の病にかかりさえすれば引き剥がせるのではないか」

と思っていたのです。浅はかで失礼な考え方だと反省しつつも、表層は悲観的な性格であるゆえ、当時は真剣にそう思っていました。

悲壮感漂う顔で心療内科も受診したこともありますが、私は一度もうつ病になることなく生活できています。

当時はタフな自分、心の根っこが楽観的な自分を憂いたものですが、心がタフかどうかは関係のないことでした。無意識下の「愛されている自信」が守ってくれたから、健康でいつづけられたのです。

具体的になにをして身を守ったかというと、「逃げる」です。

「私には次の仕事なんて見つからないかもしれない、路頭に迷うかもしれない、なにも成し遂げずに辞めるなんて情けない」などと思っていました。

でも思考とは裏腹に、なんとかして偉い人に取り入って部署異動を持ちかけたり、退職してしまったり、行動を起こせてしまったのです。まさに「生存戦略」

思考ではそんな自分を「厚かましいな」と捉えているけれど、本能で、無意識下で、

「生き残らなきゃ」
「私には何をしてでも生き残る価値がある」
「どんな状況におかれても、私は見捨てられないから大丈夫」

そう感じて、突き動かされたのだと思います。

2か月で会社を辞めたこともあります。しかも2度も。情けないと思います。だらしないと思います。だめだと思います。いい歳して根性ないなと思います。

でも、心身健康な自分がいまここにいる。

それが何よりのことです。「私は愛されている」という無意識下の自信が守ってくれたのです。

 

「選んでくれてありがとう」

30歳手前、数年間にわたり婚活に明け暮れ、うまくいかず、「しんどい人と一緒にいなければいけないくらいなら、ずっと独りでいい」と諦めた過去があります。

それがどうでしょう、いまはパートナーがおります。巡り会えた奇跡も語りたいところですが、余談がすぎるのでそれはまたいずれ(笑)。

そんな彼もまた、両親同様の絶対的な「愛されている自信」を与えてくれる存在です。

もとはといえば何の縁もない他人なのに、ふとしたことで出会って共に在れるというのは、非常にしあわせなことです。しあわせという4字で片付けるのは、チープな感じがして嫌なくらい。

選び・選ばれる「婚活」という戦場に身を置いていた者として、これ以上に「選んでくれてありがとう」と思うことはありません。

そういえば10代のころ、生まれて初めて交際関係が成立した日、赤の他人が私なんぞのことを好きだと言ってくれた奇跡に感動し、感謝し、風呂でひとり泣いたのを思い出しました。

友だち100人いなくても、モテない人生だろうとも、「愛されている自信」にあふれた日々をこれまで歩んでこられたことは、比較にならないほど幸せなのだと気付かされました。

私の場合は親と夫が愛をくれる存在ですが、それが先生だったり友だちだったり我が子だったり、人によって形はさまざまだと思います。

Amazonプライムビデオで『輪るピングドラム』観られます

結局、輪るピングドラムの話ではなくなってしまいました。でも、鑑賞したからこそ湧き出た想いであることは間違いありません。

ウテナにも震えましたが、ピングドラム、非常によかったです。アニメという表現のすばらしさを両作品ともに感じさせてくれます。ぜひ観てほしい。

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