こんばんは、送別会ラッシュの時間です。
先週、転職に伴い職場を離れました。社外のお付き合いは多いほうではなかったので退職のご挨拶メールは最後の1~2日で送ったのですが、「飲みに行きましょう」とご連絡をいただくことがありました。社交辞令でもうれしいです(私のことなんて記憶している人はいないだろうくらいに思っていましたので)。
社交辞令なの?本気なの?
社交辞令だよなーと思いつつ「じゃあ来週だとどうなんでしょうか」と挑発してみたら、「いいですね!○○日に行きましょう!」という具体的な日程が返ってくることしばしばで、うれしい悲鳴の日々です。毎日、飲んでます。
でも、その一方で本当の本当に社交辞令だろうなと思われる方もいらっしゃいます。さすがにそれは勘付きます。思ってもないこと言うなよと思いますが相手も気を遣ってのことで悪気はありません、たぶん。
そういうときは「来週は空いているのか」などと迫るような言い方をしてはなりません。それが優しさ!悩んだ挙句、こう返しました。
「12月にでも、忘年会ですかね」
12月の忘年会など、まさに社交辞令です。大事な人との忘年会まみれになる12月、社交辞令を言い合うような相手と忘年会をするはずがありません。おそらくそんなことはお互いにわかります。それでも、「またいつか」よりはいい具合の言葉なんじゃないかと思って使ってみました。
きっと忘年会の誘いは来ないし、誘わないことでしょう。「出されたお茶が渋かったら“帰れ”の合図」ではありませんが、「適当に忘年会に誘われたら“関心ない”の合図」が成立しつつあります。
しかしこんなことを思っているのは私だけで、もしかしたら先方は表現ベタなだけなのかもしれない。実は本当に飲みに行こうといってくれているのかもしれない。だとしたら大変失礼な感情を抱いてしまっています。ごめん。でも私だけ浮かれポンチなのはつらいではありませんか。ああ、なんて面倒くさい人間なのだろう!と自分でも思いますが性分ですからうまく付き合うよりほかありません。
「自分だけ浮かれポンチ」でいい
快適に過ごす秘訣はひとつである気がします。それは「相手の言葉をとりあえず信じる」こと。
そりゃ、こっちだけ浮かれていて、相手に「バーカお前のことなんてなんとも思ってないよ!」と思われることもあるでしょう。でも、それによってつく傷なんてかすり傷にも満たないではありませんか。新品の紙で薬指の側面を切った程度のもんです(意外と痛い)。
いい歳して「ほんの少しだって傷つきたくない!」という箱入り娘気質を持ち続けている自分が恥ずかしい。それを抱くにはシワもシミも十分すぎるほど持っているし、処女でもありません。
なので迷ったら、「とりあえず信じてみよう」でお返事することにします。忘年会詐欺は、もうやめます。