言いたいことやまやまです

2022年2月に出産した1985年生まれの主婦です。資料作成が好き。

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ブレストに何も持ってこないなんて

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こんばんは、ブレストの時間です。

サブウェイのターキーブレストサンドのことではありません。ブレインストーミング、集団発想会議のことです。

私が勤める会社ではブレストの機会というのがしばしばあって、その多くは事前に日時とお題が提示されています。しかし、メモ書きレベルでも資料を用意して臨む参加者などほぼおらず、ノーアイデアで平然としている人も珍しくないのです。

私は1アイデア1シートで数案持ち込むタイプです。義務感に駆られて……という側面も否定しませんが、これがないと会議が全く楽しくないから、というのがいちばん大きい。

なにしろ承認欲求の権化なので、こうした場においても、存在感を示したくなってしまうのかもしれません。気の利いたアイデアを出したい。おっ!と思われたい。なんなら資料でクスッとしてくれたら嬉しい。

しかし、虚しくなるくらいノーリアクションのことが少なくないのです。アイデアも持ってこない、他人のアイデアに即興で手を加えるでもない。

これはただのブレインの寄せ集めであって、ストーミングが成立していません。いや、この場においてはブレインですらない。オーディエンスでしかない。

憤怒!

私は会社のこうした側面にイライラしがちでした。おまえら、何も発言しないのならば会議に参加していないのも同然だぞ!欠席するなら資料くらい送れ!それがやる気ってモンだろオイ!

イライラするということは「羨ましい」ということ

我が心の師匠・心屋仁之助さんの教えによると、こうした苛立ちというのは「相手への妬み、羨ましさ」が原因であるようなのです。

たとえば、電車の中での化粧。統計をとっていないので予想ですが、男性よりも女性の方が、この行為に向ける視線が厳しいのではないかと思います。

イライラする。はしたないと見下す。とにかく心がザワッとするものです。その裏には「私だってちょっとここで化粧を直したいけれど、マナー違反だから我慢しているのに!」という羨ましさのような気持ちがあるのではないかということです。

例が悪かったかもしれません。顕著なのはSNSでの自撮りや家族写真へのザワザワした想いではないでしょうか。

「こいつ自分の写真ばっかりだけど、かわいいと思ってんのかな、勘違い女」「家族の写真ばっかり載せやがって、独身へのあてつけか!リア充野郎」

その想いの奥には「羨ましい」「私だってやりたいのに」「我慢しているのに」という妬みがある。

私が抱いていた「ブレストで何も発言しない人たち」への苛立ちも、同じなのかもしれないと思えてきました。
「何も発言しなくても存在感が示せて羨ましい」
「何も発言しなくても評価が下がらなくて羨ましい」

つくづく「人からどう見られるか」ばかりを気にしている自分に嫌気が差します。ここまでくると「また、このパターンやで(・∀・)ニヤニヤ」くらいには笑えてきます。強く(厚かましく)なったなァ……

発言しない人たちには属性に特徴があり、(ものすごく偉い方が参加されていて、その方が何もおっしゃらないのは別として……)営業で「とにかく稼ぐ」に特化した人たちでした。

そしてそれは、私がいちばん不得手とするジャンルです。営業ができない。金勘定ができないし、企画を実現させるにあたっての各企業との細かな連携や、問い合わせ対応への耐性が非常に低いのです。

となると、私が「ブレストなのに何も発言しないなんてプンプン!」と思っているのと同様に、彼らも「あいつ思いつきだけで喋りやがって面倒くさいこと一切しねえでプンプン!給料泥棒女!」と思っている可能性が高いではありませんか。

もしそうだとしたら(きっとそうだろうなー)、こんなに不幸なことはありません。

営業先への愉快な提案資料なんて、私はなんぼでも書けます。プレスリリースのひとつやふたつ、すぐ書けます。でも実現させられるだけの行動力と金勘定力がないのです。彼らと組めたらいいのに!

……ということで営業資料を勝手に作って営業チームに配布するなどしていますが、どうにも距離を置かれており、これはもう私の人間性の問題でありましょう。違う人間に直ちに生まれ変わるわけにはいかないので、私だけは私の味方で、社内生存戦略を練ってまいります。やり甲斐があろうとなかろうと安定収入が大事です。

それにしても、どこかで聞きかじった「ブレスト」なる会議手法が我が社に合っているかどうかは疑問です。アイデア出しが得意な人たちがやっていればいいことで、そこに無理に発想作業が苦手な人を巻き込む必要はないのではないかとも思います(たまには参加すると、視界がひらけて面白いかもしれませんが)。

何事も形から、という考え方には賛成ですが、それはあくまでとっかかりの話であって、回を重ねるごとにやり方をカスタマイズしていかないと全く意味がないよなあと思う、週の真ん中水曜日の夜です。