※初回投稿日:2017年7月1日
こんばんは、カテジナさんおかしいですよの時間です。
1979年4月7日は「機動戦士ガンダム」放送開始日です。つまり今年で放送開始40周年。「40周年プロジェクト」と称し、「ORIGIN」がTVシリーズ化したり「閃光のハサウェイ」「Gのレコンギスタ」が劇場版として公開されることが決まったり、ニュースてんこ盛りです。ハローキティやプロ野球球団とのコラボまで、なにがアリでナシなのかがわかりませんが、とにかく盛り上がるようです。
私はそれほどガンダム事情に明るくありませんが、「Vガンダム」にはかなりの衝撃を受けました。富野さんは「いちばん嫌いなガンダム」とおっしゃっていますし、「トラウマシーン」「鬱展開」では右に出るものがいないシリーズとも聞きます。宗教戦争、民族紛争、虐殺など、13歳の少年が主人公の、夕方放送のアニメとは思えない内容ですが、そうした「刺激」以上に
ネタバレあります。
『機動戦士Vガンダム』(きどうせんしヴィクトリーガンダム、英題: MOBILE SUIT VICTORY GUNDAM)は、サンライズ制作のテレビアニメであり、『ガンダムシリーズ』の1つ。1993年(平成5年)4月2日から1994年(平成6年)3月25日まで全51話がテレビ朝日系列で毎週金曜日17時00分 - 17時30分に放送された。「Vガンダム」、「Vガン」と略される。平均視聴率は3.92%。
女のガンダム
主要人物の多くが女性であり、自らモビルスーツに乗り込んで戦場に出るのです。そしてどんどん非業の死を遂げていく。女性エキスパートパイロットチームのシュラク隊のあっけなさは非常に切なく恐ろしいものがありました。あれだけ主人公たちとの絆を描いておいて、感情移入させておいて、ふとした瞬間に戦死してしまうのです。
女性ひとりひとりを挙げていたらキリがないので、本作を女性が鑑賞する際のポイントとなるであろうお三方をご紹介しましょう。
カテジナ・ルース
「主人公の憧れのお姉さん」として登場した美少女でしたが、回を重ねるごとに敵へと近づき、割と早い段階で敵の思想に感化され、最終的にはラスボス化するという伝説の方です。たぶん多くの方にとって「Vガン」といえば「カテ公」でしょう。主人公のウッソ以上に。「カテジナさん、おかしいですよ!」は本作の代名詞になれる有名なセリフです。
そんな前情報があったものですから、どれだけ洗脳されやすい女なんだと興味本位で物語を追いました。しかし……全く笑えませんでした。共感もするし同情もしました。
途中から主人公のウッソやヒロインのシャクティに(一方的に)憎しみを抱くようになっていきます。たびたび叫ばれる「私をバカにして!」には涙すら誘われました。
カテジナさんは美人なうえに頭がもいいのです。人が羨むものをたくさん持っているのに、セルフイメージが低い様子が伺えました。相対的にしか、自分の価値を認識することができないのです。誰かを貶めることで「上位にいる自分」に安堵する。
美しく頭のいい女性幹部ルぺ・シノに対する視線も象徴的でした。お互いきれいでデキるお姉さん同士、仲良く協力してやればいいもののそうはいきません。カテジナは上司である彼女を心のなかで「ルペ・シノのオバサン」と呼んでいるのです。「蔑視の言葉」は己の存在価値を実感するための装置。私のほうが若い、美しい、だからあいつより価値がある!
エンジェル・ハイロゥでの最終戦、「クロノクルは私に優しくしてくれたんだ!」という言葉には、彼女の脆さが詰まっていました。自分が相手を愛しているかどうかではなく、「相手が自分を求めているかどうか」なのです。自分で自分の価値を認めてあげることができない。
ウッソとクロノクルが戦う姿を見つめ「勝った方を全身全霊かけて愛してあげる」と笑ったカテジナさん。2人の男が自分を求めて戦うというシチュエーションは、「私には価値がある」という自尊心をくすぐりすぎています。結局彼女が愛していたのは「他人に求められる自分」であり、2人のことなんて見ていなかった。
ウッソとシャクティに何かされたわけでもないのに憎く感じてしまうのは、絶対的な価値観で生きていく彼らの姿がまぶしくて羨ましいからでしょう。えも言われぬ尊さのようなものを感じて、それにモヤモヤ、イライラする。私だって頑張っているのに、なんで!だから「私をバカにしやがって」と(一方的に)思い込み、憎しみを増していくのです。どれだけ他人が「あなたには価値がある」と言葉をかけても、本人がそれを拒絶する以上「人間の序列」はなくなりません。
ルペ・シノ
敵幹部ピピニーデン隊の副隊長である彼女もまた美しく聡明、ピピニーデンをも虜にしていたが、その関心はニュータイプであるウッソにしか注がれていませんでした。
それはそれは執拗に、ときに裸体になって(!)胸を押し付けながらウッソを手中に収めようとする彼女の姿は、「出来のいい息子が欲しい女」を彷彿とさせられました。息子は欲しいが配偶者はいらぬ。生みの苦しみ、育ての苦しみを経ることなく「”私という存在を輝かせる”優秀な息子」が欲しい!
ウッソへの所有欲をむきだしにしてぶつかり、「お母さんをやりたければ、自分で子どもを産んでください!」というもっともな台詞とともに討たれたルペ・シノは哀れでした。
されど最後の気力で隊長・ピピニーデンのマシンに取りつき、「つまらない男を相手にすることはない」という言葉を残して無理心中を図りウッソを守ったのは、彼女のなかに残されていた「本当の母性」だったのでしょう。最後の最後で……。
一方のピピニーデン(=つまらない男)は「いままさに出撃せんとす!」状態であったので、出鼻をくじかれるどころかそのまま戦死してしまうのだから、それはもう哀れでした。これがつまらない男の末路なのか……(観ながら「えー!」と言ってしまったシーンのひとつ)。
ファラ・グリフォン
序盤から登場する敵幹部の女性。折笠愛さんの声が最高に美しい!
鞭をぶんぶん振りながら強い言葉で部下を指揮する「ザ・敵幹部」の彼女ですが、自らの軍が取り仕切るギロチン処刑に胸を痛めたり、カフェでたまたま遭遇したウッソたちに奢ってあげたりする回があります。強く厳しい外見と女性らしさが垣間見える内面のギャップにときめいたものです。がんばってるんだな……と、ついまたおばさん視点で彼女を想ってしまう。
そんな「がんばっている彼女」が失敗をしてしまったときの末路が、非常に切なかったのです。
信頼していた(かどうかはわからないけど)上司(タシロ)から、冷徹に「宇宙漂流の刑」を言い渡されます。そんなハシゴの外し方ってあるかよ。気丈に振る舞い続けた彼女は刑に恐怖で震え、戦艦から射出されるときには「クソォォォォォ!」と叫びました。彼女は彼女なりの最善を尽くしたのに、がんばったのに……一途にキャリアを重ねてきた女性が突如ハシゴを外される瞬間とは、こういうことなんじゃないかしらと思ったのです。
終盤の復帰後は、もう別人でした。常に高笑いをしている狂気に満ちた女性として描かれてしまいましたが、そりゃ頭のネジの1本や2本、飛んでしまうだろうよと同情を誘われました。
名シーンが数えきれない
観ながらいろんなことを思ったはずなのに、ギロチンシーンやウッソの「母さんです」などの印象が強すぎて、細かな記憶が飛んでいるのが悔しい。1話観るごとに感想をメモしておけばよかったです。
そんななかでも放送話数として最も印象に残っているのは38話の「北海を炎にそめて」。ぶっちぎり1位。物語もだいぶ進み、むごいシーンも多々あるなかでのギャグ回といえましょう。まさか初登場から戦死するまでの間、ひたすらに「俺はバイクが好きだ」「地上をバイク乗りの天国に」と言い続けた男はVガンダムのイク少佐以外知らん!愛するレンダさんとともに散ったあと、ふたり(の霊)が2ケツバイクで夢の「八角形の丸太小屋」に向かっていく様子が描かれたのはなぜだったのか。八角形に、なにか隠された意味があるのか?メッセージを受け止めきれないと、人は笑うものなのだと身をもって知りました。本当にあれはなんだったのか……
ちなみにこのエピソード、私の好きなオデロの少年ぽさが全開になっていたのもよかったのです。憧れのエリシャさんと恋仲になる姿、キュンキュンさせてもらいました。オデロは本当にいい奴、ああいう兄貴が欲しかった。そしてクロノクル、いまいち存在感に欠けていたけれど声のイケメンぶりは群を抜いていました。
とにかく女性にこそ観てほしいのです。