こんばんは、なつぞらの時間です。
テレビでドラマやアニメを観るのがうまくなく、思いきり録り溜まってしまっています。うっかり朝ドラを観始めてしまったものだから大変です。著しく溜まっています。
朝ドラを全部視聴するというのは生まれてはじめてのことです。習慣になっていないものだから月~金で予約してしまっていて、土曜日も放送されていることに気づいたのは天陽くんの結婚あたりでのことでした。どうりで週が変わると話が進んでいるわけだ!
そんな次第でありますが、やっと追いついてまいりました。最近、雪次郎くんが実家に帰ってしまいました。
人生の勝ち負け
雪次郎くんというのは主人公なつ(東京でアニメーターをしている)の幼馴染です。
ご実家が菓子屋で、修業のためになつとともに上京。しかし演劇に惹かれ、舞台役者になるために菓子修行をドロップアウト。舞台の主演を射止めるまでになりましたが、失恋とかいろいろで実家に帰り、父のもとで修行することを決意したのでした。
102話(ちがうかも)、帰郷した雪次郎くんは幼馴染で農家を営む天陽くんのもとを訪れます。天陽くんは既婚者ですが、もともとはなつと好意を寄せ合っていた仲です。なつの上京で恋路を諦めざるを得ず、いまの奥さんとお付き合い・結婚をしております。
そんな彼となつの話になる。雪次郎くんは言うのです。
「なっちゃんはすごい。俺はなっちゃんに追いつくことすらできなかった」
でも天陽くんはこんな返事をします。
「生きることに勝ちも負けもないよ」
私はざわつきました。
人の価値はみな平等。勝ち負けはない。みんな尊い。自己肯定感の低さに悩む私は、なにかにつけてそんなことを教わりつづけてきました。カウンセリングルームで、書籍で。そのたびに自分に言い聞かせています。だから天陽くんの言葉は正しいと思う。
でも納得いかない自分もいるのです。
アニメーターとして第一線で活躍しつづけるなつ。
ドロップアウトを重ねて、まだ何のプロにもなれていない雪次郎。
今後雪次郎がどうがんばるかはわからないけれど、この時点では雪次郎が負けている。なつのほうが「必要な人材」である。私が雪次郎くんだったら、天陽くんの言葉は気休めにしかならなかったろうなと思います。
人生の主役は自分
34歳の私、負けまくり人生です。雪次郎くんなんていいですよ、まだ30前だもの。女で30代なかばに差し掛かっているのに、親になるでもなく、なんのプロにもなれていない、いろんなところから逃げて、のうのうと生きている自分。
もちろん学び続けてきたから「人の価値はみな平等」だというのは、頭ではわかります。でも油断すると心がざわつくのです。
ネガティブな話になりかけていますが、今日は落ちる話をしたいのではありません。「油断すると心がざわつく」程度でおさまるようになった、ということが大きいのです。気を張っていれば「自分は自分」と思えるように、ちょっとずつですが変化してきました。
先日「人生の主役は自分」という言葉を教わったのもよかった。
テレビのドキュメンタリー番組にせよ、新聞の取材コーナーにせよ、Facebook投稿にせよ、とにかく「すごい人」に遭遇すると脊髄反射で自分を脇役化してしまうクセがあります。自分の人生なのに、人生の主役を「すごい人」に譲ってしまう感覚です。自分という存在を咄嗟に、しかししぶしぶ、黒子化しようとしてしまうのです。違うだろう、主役は、自分だろう。
「すごい同級生」も自分の人生においては「脇役」
誇るべきことですが、同級生に「すごい人」がいるのです。各方面から注目されていて、ひっぱりだこ。見た目も美しくて非の打ち所がありません。
彼らに関する報道を見ると「存在価値の優劣」を意識してしまうので、情報に触れないように努力しているほどです。
最近不意打ちで、彼らの情報に接触してしまいました。やっぱりざわつきましたが、ざわつくだけで留めることができました。「やっぱりすごいなあ、私はだめだなあ、同い年なのになあ」なんていう卑屈思考に入り込みすぎずに、ふつうの生活を送ることができました。
すごい彼らも、私の人生においては脇役にすぎないのです。
自分ができることといえば、ひたすらに自分なりのバッターボックスに立ち続けることだけです。落ち込んでいる時間ほど無駄なものはありません。いじけるのは生理前だけにとどめたい。それだってかなりのタイムロスなんだから!更年期が怖いよう。
「人生の主役は自分」を合言葉に、心の強靭化、というか……鈍感化に努めます。
しかしまだ当面は同窓会には行けそうにありまセーン!/(^o^)\ それはそれで悪いことではないと思うので、楽しく参加できる日まで取っておこうと思います。ばあさんになっているかもしれないけれど。
焦らず前進してまいります。