今日は木曜日。日々愛聴しているTBSラジオ「荒川強啓デイキャッチ!」の日替わりコメンテーターは山田五郎さんの日だ。
五郎さんは、アシスタントの片桐千晶アナのことを「千晶ちゃん」と呼ぶ。それがとても好きで、いいなあ、私も五郎さんにファーストネームちゃん付けで呼ばれたいなあ、と夢想してはときめくのだ。
私は苗字がややこしく、下の名前が短いせいか、いい歳して名前にちゃんを付けて呼ばれることが多い。友人だけでなく、なじみの居酒屋、喫茶店でも、気付けばそう呼ばれていた。
「ファーストネーム呼び」には、「この人、私に心開いてくれてる」と思わせる効果があると思う。不思議なもので、そう呼んでくれるお店に行くと親戚の家にいるような心地になるのだ。だから安心感で同じお店に行ってしまうんだよなあ。くっ、商売上手め!
そういえば職場でも、名前にちゃん付けで呼ばれていたことがあった。女性上司からも男性上司からもそう呼ばれていて、そこでも私は「ホーム感」を見出していた。しかしあるとき、男性上司が急に「苗字+さん」で呼びはじめたのである。
「セクハラやパワハラになるといけないから、会社で”ちゃん付け”はダメなんだって」。
そうなのかあ。私にとっては心地よいものだったが、「馴れ馴れしい、不快」と感じる人もいるのだろう。
先日、8つくらい年下の従兄弟に会い、そこでも「会社での名前の呼び方」の話題になった。大企業に勤め始めたばかりの従兄弟であるが、ちゃん付けはおろか、
「男の同僚のことを”○○くん”って呼ぶのも、ダメだよ」
そうなのかあ。”くん”付けで呼ばれたいんだったら、慶應義塾生になるしかないよなあ。
どちらも大きな会社での事例です。彼らは、デリケートな問題をとにかく「無難」という基準に則ってルール化せねばならないのでしょう。「なんだか腑に落ちないなあ」と思っても、大勢を束ねるとなると、そういうことも多々出てくるもの。
そのことを悪いとも、いいとも思わない。ただ「そういうもんだよなあ」と思うだけだが、これは思考停止して逃げていることの表れか?もっと考えるべきなのか?
賞味期限の考え方なんかも、これに似ている気がする。臨機応変に自分の五感で、その都度OK・NGをジャッジするのがよいと思うが、それが苦手な人もいる以上、「無難なライン(賞味期限)」をとりあえず引いておいたほうが、安全。
結論としては、「いつか山田五郎さんに居酒屋でちゃん付けで呼ばれたい」ということになります。失礼いたしました。