こんばんは、しょうもない記事の時間です。
季節の変わり目だからか?すこぶる調子が悪いです。思考がネガティブに引き寄せられてしまいます。
この4日間、食欲以外の欲求がなくなり、ろくに仕事もせず生きている自分が情けなくなり、「あいつは使えない」「ばかだ」と囁かれている気がして消えたくなっていました。インデペンデンス・デイで「宇宙人ようこそ」の看板を掲げながらあっという間にやられたジャスミンの友人が羨ましく。
— やままあき@凡人の星になる(Kindle unlimited対象です) (@yamama48) 2019年5月29日
作業的なことならよいのですけれど、創造が必要な仕事はどうもうまく行きません。ブログやポッドキャストも、今週はずいぶん苦戦しています。
それでも更新できてしまう程度には、ブログに慣れたという自覚があります。
大物ブロガーさんたちのようにクオリティの高い記事を目指すなら話は変わりますが、凡人ブログなら「しんどい今日」なりのことをそのまま書いておけばよいのです。
現象に名前をつけると「なんか救われる」
5月7日放送分の「東京ポッド許可局(TBSラジオ)」を聴きました。その名も「現象に名前をつける論」。毎回おもしろいですが、この回はとても興味深かったです。
許可局はこれまでたくさんの命名をしており、
「10分どん兵衛(どん兵衛に熱湯を注いで10分待つ食べ方)」
「ご冥福ビーチフラッグ(誰かが亡くなると我先にと思い出話+ご冥福をお祈りしますと言い合う現象)」
「排泄映画(思いきり泣いてスッキリする映画)」
……などなど、枚挙にいとまがありません。
この「命名力」というのはすごいのだという話です。
言語化できずにいたモヤモヤした想いがスッキリしたり、やわらかく注意しやすくなったり、嫌悪していたものがちょっとかわいく見えたり、コンプレックスを口に出しやすくなったり、なにかと「救われる」のです。
詳しくはぜひ許可局の音声をお聴きください。
「しょうもないブログ記事」にも命名できないだろうか
そして話は冒頭に戻ります。ブログを書けない状況でも、数行の日記記事程度なら誰でも書けるはずなのです。自意識が邪魔をして書けない、あの記事さえ書ければ。
この手の記事に名前がついていれば、もっと気軽にしょうもない記事が書けるようになり、毎日更新という目標を達成する人は増えるのではないだろうか。そんなことを思ったのでした。
私はこれまで自虐を込めて「クソ記事」と読んでいましたが、クソというのは強すぎる言葉です。まだうんこのほうがかわいい。
「しょうもない記事」という呼び方が好きなのですが、ちょっと長すぎる。
日記記事が多くなるでしょうから、「首相動静」になぞらえて何か表現できないかと思いました。いつどこで何をしたかだけ書く記事。
しかしこのモジりがうまいこといきません。「首相」の韻を踏みたいけれど思いつかず、シンプルに「著者動静」みたいにすると意味がわからない。
書き文字ならまだしも、音で聞くと「どうせい」は「同棲」「同性」など同音異義語が多いのでしんどいところです。
それでふと思ったのですが、「徒然草」と呼ぶのはどうでしょう。
今日のブログは徒然草だからさ、といった具合に使う。よく覚えていませんが、徒然草というのは健康なおじさんが1日中すずりの前にいて暇だからとりとめないことをいろいろ書いてみましたという話だったはずです。
こうすれば日記じゃなくても、普段から思っていることとか、好きなもののこととか、なんでも書けるようになります。出来栄えはしょうもなくてよいのです。つれづれなるままに書いた結果ですから。
それをネガティブに捉えないようにしたい。それで徒然草です。徒然記事という呼び方のほうがいいのだろうか。徒然系とか。
……今夜、夢で吉田兼好にどつかれそうです。
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