言いたいことやまやまです

有名人になりたかったけれどなれなかった30代半ばの凡人女による愉快な生存報告

やままあき

Author:やまま (id:yamama48)

1985年生まれのインディーズエッセイスト(子なし専業主婦)。
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現実がすべて!理想とのギャップがあなたを苦しめる(妖怪べきねばがやってくるぞ)

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2020年9月3日に、電子書籍で『妖怪べきねば ~「ちゃんとしなきゃ」が追ってくる~』というエッセイ本を上梓しました。

この本のキーワードは、タイトルのとおり「べきねば」――すなわち「こうするべき」「こうせねばならない」という感覚です。

このことについて、心理学ジャーナリストの佐々木正悟さんがご自身のポッドキャスト「グッドモーニングバイブス」でお話しをしてくださっていました。ありがとうございます! お礼がすっかり遅くなってしまいました。

anchor.fm

 

「グッドモーニングバイブス」で語られた「妖怪べきねば」像

とてもおもしろかったのでとにかく聴いていただきたいのですが、次のようなお話が要点かと思います。

  • 「妖怪べきねば」は自分のなかにいる
  • それぞれの経験則にもとづいて、十人十色の「妖怪べきねば」が存在する
  • 万人が同意できる「べきねば」がないことが、「各人のなかにしか存在しない」ことの証左
  • しかし「世の中」や「親」など「自分の外にあるもの」が妖怪を生み出したように感じている
  • だから「世の中的にはこれが正しいんだから」という語り口で(他者のせいにしながら)攻撃してしまう
  • 実際には、各人が育て上げてきた「妖怪べきねば」を戦わせている
  • 「妖怪べきねば」とはリアリティのある「バーチャル」である
  • 言うなれば「現実=史実(リアル)」「妖怪べきねば=時代劇(リアリティ)」である
  • 「こうありたかった(リアリティのあるバーチャル)のに、できなかった/してもらえなかった(リアル)」とき、なぜか「リアリティのあるバーチャル」の方に価値が置かれてしまい、それゆえに、現実がそのとおりにならなかったことに不快感を覚えてしまう
  • 「こうあるべきだったのに!」と怒ることは、史実よりも時代劇が正しいのだと怒っているようなもの

不快感の原因は「理想と現実のギャップ」

毎朝、B5のノートに日記をつけているのですが、最近はことあるごとに「現実がすべて」というキーワードを書き記しています。

この日記は基本的に前日を振り返るもので、「ああ楽しかったなあ、よかったなあ」よりも、「これがだめだった、あれもだめだった」に思考が向きがちです。

昔は「どうすれば対策できたか」なんてことも考えて書き添えていたものの、どの言葉もすごく空虚で、「いま振り返ればそうかもしれないけれど、まさにそのときには、そんなこと絶対にできなかったよ」と言いたくなるものばかりでした。説教くさいのです。

そんな説教とうんざり感を自家発電するというのは気分のいいことではなく、「対策」を書き添える習慣はいつの間にかなくなってしまいました。

代わりに目が向くようになったのは「なんでそのとき不快になったのか」です。不快になることを悪しきことだとして自分を罰し、改善要求するのをやめて、自分に寄り添うことにしました。

「あの人はこうするべきだったのに、してくれなかった」
「私はこうしなければならなかったのに、できなかった」

具体事例は書くのも憚られるほどですが、「コンビニ店員さんがモタモタしていたから電車に1本乗り遅れてしまった」とか、「寝坊してごみが出せなかった」とか、些末なことなのです。

原因の大半はやっぱり「べきねば」なのだとすぐにわかります。

そして佐々木さんがおっしゃっているように、「妖怪べきねば」は自分のなかにいることも見えてきます。「その電車に乗らなければならない」のも「ごみを出さなければならない」のも、自分が掲げた「理想」にすぎないではありませんか。

私の不快感は「正しいと信じている理想(=妖怪べきねば)」と「理想に沿えなかった残念な現実」のギャップによって生じているのです。

ならばそのギャップをつくらなければいい。理想なんてものがあるからいけない。

「本当はこうしたかったのに、できなかった」のがっかり感が諸悪の根源です。万人にとってゆるぎないもの、それが「現実」です。現実の前でいくら「こうあるべき」「こうせねば」と熱弁をふるっても、それは個人の妄想やおとぎ話の域を出ないのです。現実は強い。

日記に幾度も書いているせいか、日常で起こるちょっとしたイライラ、ムカムカ、ソワソワとした気持ちは、「理想にとらわれるから辛くなるんだ、目の前の現実がすべてだ!」と言い聞かせることで早めに手放せるようになってきた気がします。

その証拠に、不快な時間が減っています。ちなみに、そのぶん楽しい時間が増えているわけでもありません。これもまた現実!

ポッドキャスト運営も「理想を捨てる」

9月30日は「ポッドキャストの日」ということで、いま考えているポッドキャスト運営のありかたを話しました。

anchor.fm

毎度のことながら、ノープランの行き当たりばったり収録です。ここでも「理想を捨てる」という話をしました。

もともとラジオが好きなので、軽快なゲストトークだったり、リスナーからのパーソナリティいじりだったり、はたまた専門性や一貫性のある内容だったり、「こんな人気ポッドキャスト番組にしたい!」という理想は山ほどありました。

でもここにすがっている以上、理想と現実のギャップに苦しむことになります。

もちろんその悔しさをバネにして、本気で人気番組にするために努力する人たちもたくさんいますが、私にはそこまでのガッツがありませんでした。「しんどい想いをするくらいなら現状維持でいいや」という自分、これもまた「現実」です。

理想のポッドキャスト像を描けば描くほど、詰みます。続けたくなくなってしまいます。

私は、自分の想いを声で届けられるポッドキャストという発信手段が好きです。人気が出ないのも、儲からないのも不本意ですが(笑)、「ポッドキャストをとにかく続けること」が自分のなかでは最優先。だから理想を捨てようと思いました。

逆に、やろうとしているのは「絶対にやりたくないことをどんどん削ぎ落とすこと」です。

たとえばゲストの方にご出演いただくことがありますが、その方のためのお膳立てはしません(笑)。事前準備が負担だからです。ゲスト回だろうとなんだろうと、行きあたりばったりで! 質問事項を前もってもらっておかないと出演できないと言われた場合は「ご縁がなかった」と思えばいいのです。

番組中では「木彫りの仏像」という、なんともいえないたとえ話にしてみました。話はこうです。

これまでは丸太から美しい観音像を彫り出そうとして、横にお手本を置いてそれを見ながら彫っていた。でも全然、とてもじゃないけれど観音像になっていかない。……ならばそのお手本は捨てちまえ! 目の前の丸太と向き合って、自由に彫ってみろ!(←イマココ)

よかったら聴いてください。早朝のジョナサンにて、ヒソヒソ声で収録しました。

おわりに

冒頭でご紹介した佐々木さんのポッドキャスト、本当におもしろかったのでぜひご聴取ください。

とくに印象に残っているのが、「待ち合わせに遅刻してくるなら前もって連絡をよこすべきなのに、相手はそうしてくれなかった」ようなときのお話です。

こういうシチュエーションはとにかく不快になるものです。それはなぜか。

「こうあるべき」という理想には(それを正しいと思っているぶん)現実以上のリアリティがあり、それに及ばなかった現実は、まるでそのリアリティに「追い落とされた」ように感じるから――

聴いたものを思い出しながら書いているので正確さに欠けますが(なので、聴いてください)、「追い落とされた感じ」という表現がとてもしっくりきました。

不快感とひとことで言ってもその性質は多岐にわたります。この「追い落とされた」感覚が非常に近いと思ったのです。悔しさ、苦々しさ、屈辱的な気持ち……。

限りある人生です。少しでもそんな気持ちでいる時間を手放したい。これからもしばらく、日記帳に「現実がすべて」というキーワードを書き込みながら、日々を生きていきたいと思います。

▼佐々木さんの最新刊はこちらです。書籍版、Kindle版両方あります!

 

▼よかったら、この本もよろしくおねがいします……!