「はてな」でブログを開設したのは2014年3月のことだが、それ以前にはAmebaで「エッセイめいたもの」を書いていた。10年以上はブログを書いていることになる。
もともとは「エッセイストごっこをする場」としてのブログだった。
さくらももこのエッセイに感銘を受け、「私も、ふつうの日常を書いて読者をニヤニヤさせられる人になりたい! 俺はなる!」とゴールドロジャーに誓ったのは小学生のころ。
とはいえなんらかの形で著名にならないと、エッセイなど書かせてもらえないことには気づいていた。
とりあえずコピーライターでも目指してみっか……なんて思っているうちにブログなるものが生まれ、眞鍋かをりが「ブログの女王」なんて呼ばれてエッセイ本を出した。
婚活ブログを書き綴っていた犬山紙子はエッセイ本どころかニュースのコメンテーターにまで。
かのジェーン・スーだって、(ブログではないにしても)mixiで発信している文章が誰かの目に留まり、いまのキャリアのきっかけになっている。
そうか、ブログでおもしろいエッセイを書けるやつだと認められれば、道が拓けるのか!
……ということで社会人になってからブログを開設したのだった。
お察しの通り、目的は達成されることなくいまに至っている。
根気強く、エッセイコンテストに応募できるレベルの記事を書いていたら道は拓けていたのかもしれない。
しかし当時は「プロブロガー」なる存在が幅を利かせていたし、「はてブ」のパワーは絶大だった。
人気はてなブロガーは、さながら「隣の芝生」。輝いていた。眩しかった。
とはいえ「隣」だ。「ドバイ」などではない。
小学生の私が抱いていた「エッセイストになりたい」という望みは、いつしか
「私だってブロガーとして注目してもらえるチャンスがある!」
「どうしたらアクセスが集まるんだ!?」
「ブログで稼ぎたい!」
という形に変わっていってしまった。
はてブがつきやすい食レポ記事に特化しようとしたり、アフィリエイト記事を書いてみたり、かと思うとふつうの日記もあったり、内容ではなく「毎日更新」に心血を注いでみたり、オフ会に参加して顔を広くしようとしてみたり……まあ、なんでもやってみた。
そのなかで、SEOを考えれば、雑多な日記ブログというのは(アクセス流入が期待しづらいという意味で)価値が低いということも学んだ。
日記記事はノイズでしかないので削除した方がいい、という教えに沿って、それなりの数の記事を消したこともある。
……いずれにせよ、エッセイストになるための努力ではないことは確かである。
努力虚しく、人気ブロガーにもなれなかった。
だがこの紆余曲折のさなかで気づいたことがあるのだ。
SEO的に「ノイズ」となる記事のほとんどを消せなかったのが、気付きの発端である。
消せなかった理由の9割5分3厘くらいは「めんどうくさいから」。
でも残る4分7厘は「そんなクソ記事を書いてしまうのもまた、自分だよな」という、なんともいえぬ気持ちだった。
消せないならば、このブログはいったん脇において、新たに特化ブログを作ればいい! と思ったこともある。
実際にいくつも作ってみたが、結局、書けて1~5記事。
雑多で散らかった「言いたいことやまやまです」というブログでなら何記事も書けるというのに、である。
そして「記事のための記事」は書けなかった。
いわゆるアクセスやアフィリエイト収益などを目的にした、「こういうネタに需要があるから記事を書く」「この案件は単価が高いから記事を書く」といったことができなかったのだ。
「誰かのための記事」も書けなかった。
「読者のための、役立つ記事」を書こうとしても筆が進まない。
「いま、私が書きたいから、書く」。
このブログはそんなエゴイズムの集積地だったのだ。
需要に応えていないのだから、人気者になどなれるはずがない。
その一方で、このブログはいつしか自分の一部として、なくてはならないものになっていることに気づいた。
どうりで、切って捨てようとすれば私の心身が痛いと泣くわけだ。
ブログを書き始めて10年以上が経つ。
私も歳をとり、あっという間にアラフォーだ。
少しずつ、いろんなことをあきらめられるようになった。
あきらめるといってもそれはネガティブな意味ではない。
等身大の自分を受け入れるということである。
もはや商業エッセイストになれるとは思っていないし、なろうという気もない。
有名になることへの憧れもなくなった。
アクセス数が多そうな、隣の人気者を眺めることもなくなった。
それでも私はブログを書き続けている。
書いてはダメ、と言われても書くのだろう。
なぜなら前述の通り、私とブログは一心同体だからだ。
呼吸して、飲食して、排泄するのと同じように、私が生きている以上はブログが更新される。
◯◯のために、といった理由は、もはや、ない。というか、超越してしまった。
ただ自分のために書くだけならば、ブログの形を取らなくてもよいのではないか?
紙の日記帳やクローズドな日記アプリなどに書けば、周りの目を気にすることなく、本心だけを書けてよいのでは?
そんな意見もあろうが、「誰かが読んでくれる可能性がある」というほのかな緊張感が心地よく、これこそが、ブログを書きたくなる理由にもなっている。
まれに、おもしろかった、共感したというコメントや、はてなスターをいただくと、本当にうれしくなる。
せっかくなので、ブログ歴10年弱の経験を活かして、ナイスな例え話でもして締めてみよう。
「ブログとは、チョコボールである」。
チョコボールを食べたくて買っているのと同じように、ブログを書きたくて書いている。
書くことに意義がある。ピーナツのチョコボールを食べることに意義がある。
キャラメルは苦手である。銀歯が取れるから。いちごは好きでも嫌いでもない。
そんなブログにおける「読者さんからのなんらかの反応」とは、チョコボールでいうところのエンゼルなのだ。
謎のキラキラ正方形シールのためにビックリマンチョコを買うのとは訳が違う。
チョコボールはそれ自体がおいしく、チョコボールを食らいたいがために買う。
無エンゼル上等! チョコボール(ピーナツ)のおいしさで十分に満たされる。
しかしそこに金・銀のエンゼルがついてたら? ……得も言われぬ幸福感!!!
この記事もまた、エンゼルとの遭遇をほんの少し期待しながら書いている。
「三段論法を使うと、私=チョコボールなんだな」と思いながらこの記事を終える。
今後ともよろしくお願い申し上げます。
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2022年2月の出産以来、頭の中のほとんどが育児を占めているので、さすがに別ブログを作ってみました。
育児仲間に愚痴の数々を聴いてもらえたらうれしいです。
特別お題「わたしがブログを書く理由」