社会人生活を10年弱もの間送っておきながら、いまだに「がんばる加減」を調節できずにいる。
自分で言うのもなんだが、(バカ)真面目で一生懸命な性格をしていると思う。
目の前に業務があると「やりたい、やりたくない」ではなく「やらなければならない」と感じ、完遂に向けてがむしゃらになる。
社会人諸氏、というか学生さんも含め頭のいい方はおわかりだと思うが、仕事に完遂などという言葉はない。終われば次が降ってくるし、終わるかと思いきや諸事情でゴールテープを遠ざけられることも多々ある。真面目で一生懸命でがむしゃら、美しく聞こえるが私はバカである。
人間である以上、知力体力というリソースには限界がある。使い果たさず、燃え尽きず、長く効果的に働くことは、自分のためであるとともに周りのためでもある。どんなにがんばっても、燃え尽きて最後でヤケになったり、最後の最後で校正ミスをしたり、忘れ物をしたりすれば「あいつと仕事をするとロクなことにならん」という評価で終わる。
私生活にも支障をきたす。「やらなければならないこと」にがむしゃらに取り組んで燃え尽きた日は表情筋すら動かなくなってしまう。発声する元気もなくなる。風邪などひいていない、体力はある、はずなのに動けなくなる。脳みそが動いていないのだ。エンジンをかけようとしても、プスプスとかかりそこねる音が響くばかりだ。家に帰るのが精一杯で、座っているうちにただただ時間が流れ、気づけば日付が変わっている。
タスクシュートやたすくまを使って行動ログをとり、日次レビュー、週次レビューをつけて、自分のそうした行動傾向がありありと見えた。レビューで「CPUを使い果たさない」と書き込むことが増えた。
パソコンのことはよくわからん。が、愛用機の動作がしばしば遅くなり、そういうときにタスクマネージャーを開くと決まってCPU使用率というのが100%近くなっている(そしてたいがいはウイルスバスターというトレンディな悪魔の仕業だぜ)。あのパツンパツンのグラフを見ると妙な親近感が湧いた。私の脳みそを見ている気分になるのだ。だから振り返りメモには「CPUを使い果たさない」と記すようになった。
今日も気づけばCPUは100%に振り切れてしまっていた。「やらなければならないこと」でパッツパツ。気力が切れたのは17時前、まだ終業時間にもなっていないよ。昔は1日くらいなら、脳みそフル回転で深夜まで維持できたのになあ。これがトシというやつなのですか、先輩方。
せめて「やらなければならないこと」ではなく「やりたいこと」を選べたら、もうちっと達成感もあるんだろうか。サウナから出たときのような心地よい疲労感があるんだろうか。じゃあやりたいことってなんだ。それは食っていけるものなのか。
このままじゃ何者にもなれずに死ぬ。会社の仕事も中途半端、夢も中途半端。ただ消耗するだけの毎日で、当たり障りなく生きて死ぬ。嫌だな、悔しいな、抗いたい。
脳みそが動かなくなった17時、昼ごはん用に買って食べ損ねていた、豆腐の相模屋の揚げ出し豆腐を食べた。時間外に豪快にごはんを食べると上長の目も厳しいので(当たり前)会議室を借り切って食った。電子レンジ500Wで3分。専用のタレをかけて食べたらめちゃくちゃおいしくて、なんだかじわーっと脳みそにしみてきて、ほんの少しだけ元気になった。
これ、すごいですよ。200円くらいだったかな、フワフワモチモチで麺つゆのような味のタレがよく合う。相模屋は偉大だと思った。ザクとうふなんて相模屋さんのすごさの一側面でしかない。
「君は生き残ることができるか」
豆腐に問われた気がした
……って、そんな気がするわけねえだろう!!!
生き残りたい!生き残る!
豆腐は本当においしかったです。