言いたいことやまやまです

2022年2月に出産した1985年生まれの主婦です。資料作成が好き。

育児日誌ブログ「母になっても言いたいことやまやまです」を毎週月曜日に更新中!

「得られるものがないコミュニティ」の魅力

しっかり働いていたころ、たまに参加していた異業種交流会的なものが苦手でした。

初対面の人と飲み食いしながら話すことは好きだけれど、そこに「肩書き」が伴ってくると、どうにも辛くなってきます。

いま振り返っても、誇れる企業で素晴らしい職種に就かせてもらっていました。ただ私には「仕事に対する本気」が欠けていた。

「どんなお仕事をなさっているんですか?」という会話や名刺交換は、肩書きをまっとうしていない私にとっては後ろめたさを感じるひとときでした。

肩書きはそれなりにおもしろいものだったので、先方が会話を膨らませてくださることが多々あれど、こちらは「はァ」「へェ」「ふーン」「ほゥ」くらいしか返せない。頭のなかはもちろん「ヒィヒィ」です。バイキンマンもびっくりの「は~ひふ~へほ~」がここにあったのだ!

こちらの仕事に関する話題から逃げたくて、なんとか、相手が主体となる話になるよう汗をかいていました。そんな調子では新しい仕事につながるはずもなく、いただいた名刺たちで膨れた名刺入れを虚しく感じました。相手にも申し訳なく思いました。

 

会社をやめて、夫に扶養してもらいつつのフリーランスになってからも、交流会的な機会に遭遇することがありました。参加イベントの懇親会などです。

しかし当時の私が一生懸命取り組んでいたのは、仕事ではなくこのブログ。ご覧の通り、アフィリエイトに力を入れているわけではない、収益と無縁のブログです。

いちおう名刺は作っておいたものの、売り込みたい「仕事人としての自分」などないのです。強いて言うなればブログを読んでもらえたらうれしいけれど、このブログは自己肯定感どん底仲間や、30代めんどくさ女仲間、そういう人たちを「興味深い」と好意的に見てくださる方にのみ響くと自覚しております。となると、うかつに薦められない(笑)。

そもそも、そんな肩書きのない自分を卑下するような30代女に興味を持ってくれる人はほぼいませんでした。当然だ。近くに居合わせた方ととりあえず会話はするものの、毒にも薬にもならない話をしてお互いにそれとなく立ち去る……。

自己肯定感の低さは私のチャームポイントだと思って書きますが、こういうとき、「なんだ、なんの仕事にもつながらなそうな、役に立たそうなやつか」と思われて捨てられる感覚がありました。被害妄想はエンターテインメント(他人に迷惑をかけないというルールを守って楽しくデュエルしよう)!

 

そんな私ですが、コロナ禍に見舞われてから利用するようになったオンラインコワーキングスペース「みんコワ(みんなのコワーキングスペース)」だけは居心地よく過ごせています。

みんコワはオンラインで雑談しながら作業ができる、バーチャルなコワーキングスペース。お世話になっていた茅場町駅前のコワーキングスペース「Co-Edo」さんの紹介で利用しはじめました。

ランチ会やもくもく会(決められた時間内に、各自がもくもくと作業を進める会)などのイベントも多数開催されていて、参加無料!

家にいながらにして「はじめまして」の出会いも体験でき、買い出し以外の外出を控えていた時期、ずいぶん救われたものです。

妊娠中の心細いときも、産後の誰にも会えないときも、ログインさせてもらっていました。もちろん現在進行系で愛用させていただいています。

 

ただやはり、ここでも自分のなかの「肩書き問題」で悩まされることになりました。

はじめましての出会いがあるということは、自分が何者であるかを名乗らなければならないということ。

妊娠してからは本当に仕事をしなくなったので、自己紹介タイムは常に卑屈な想いでいっぱいになりました。

オンラインとはいえ、コワーキングスペースです。仕事の話ができれば会話は広がりそうなものですが、私には話すことがない。名乗るときも「主婦」としか言えない。がんばって「主婦ブロガーです」なんて名乗ってみた時期もあるけれど、いわゆる副業丸儲けな主婦ブロガーではないから、本気のブログ論議もできない。

 

寛容な利用者さんたちは、卑屈でめんどうくさい私のこともうまい具合に受け流してくださいました。

それを何回も体感していくうちに、卑屈心がゼロになったとはいわないまでも、「ただの主婦である私も、この場に参加してよいのだ」と、自分に許可を出せるようになったのです。

自己肯定感底辺仲間はきっとわかってくださると思いますが、自らこんなことを思えるってすごいこと。ゆえに、スキマ時間を見つけてはログインしてしまうのです。

 

ある日の「みんコワ」のランチ会で、このサービスの魅力とはなんなのだろうか? という話題が持ち上がりました。

そこで出たひとつの見解が「期待がないところ」。語弊がありながらも敢えて書きますが、「得られるものがないところ」が魅力なのではないかということです。

仕事で役に立ちそうな人に出会いたいとか、有益な情報を得たいとか、カモを見つけたいとか、はたまた、友だちを見つけたいとか、そういう「目的らしい目的」を持たずに立ち寄る場所が「みんコワ」なのだという話でした。

それを聞いてひどくしっくり、納得がいったのです。

なにか役に立つことを期待されているわけではなく、お互いがただそこに「いる」という、それだけの空間。だから私も、ただの主婦であるにもかかわらず「この場にいてもいいのだ」と実感できたのだと思います。

 

「得られるものがないことが魅力」って、とてもおもしろい。

なんでもかんでも有益性が求められる世の中です。

名もなき個人たちの日記からはじまったウェブログも、いまとなっては「ブログ」=「有益な情報をわかりやすく書かれているサイト」という意味合いが強くなってしまいました。

試しに、Googleで「日記ブログ」と検索してみていただきたい。

上位に表示される「お名前ドットコム」の「日記ブログを作成する際の注意点とおすすめのブログサービス」という記事にはこんなくだりがありました。

 

日記とブログについて、両者の違いがよく分からないという人は多いと思います。

確かにこれらは、重なり合っている部分も多くありますが、「目的」と「成果」において、明確な違いがある点に留意しましょう。

<中略>

日記は、自分のために日々のできごとを記録するものであり、機能としては過去の出来事の備忘録、あるいは思いつきや思い出を振り返るために使われます。

ブログの場合はそれに加えて、読者に役立つ情報を提供する意図があり、その成果として読者から感謝されたり、アフィリエイト広告を通じて収益を得られたりするメリットがあります。

 

当ブログには「読者に役立つ情報を提供する意図」がなくて至極申し訳ない限りでございますが、ブログに限らず、「有益な情報=価値がある」というのが、世間での一般的な捉え方ではないでしょうか。

 

しかし先の話に戻れば、みんコワの価値、魅力のひとつは「得られるものがないところ」なのです。なんか、もしかしてこれは「令和っぽさ」なんじゃないかと思ったりして。

マインドフルネス的なコミュニケーション? 期待されず、期待せず、ただそこに存在すること、その存在同士がたまたま居合わせること。そこに価値があるって……あれじゃない? 一生に一度でいいからナチュラルに使ってみたい言葉「セレンディピティ」じゃない!?

 

そんな「みんコワ」、ほぼいつでも誰かがいるので、家でひとりで作業していると捗らないなあという方、誰かと雑談したいなあという方、ぜひログインしてみてください。いきなりは不安だということであれば、興味のあるイベントに参加して様子を伺うのも手です。

下記の公式サイトの下の方に、イベントスケジュールのカレンダーがあります。ご活用ください。

mincowa.com