言いたいことやまやまです

2022年2月に出産した1985年生まれの主婦です。資料作成が好き。

育児日誌ブログ「母になっても言いたいことやまやまです」を毎週月曜日に更新中!

ブロガーからエッセイストになる

  誰がなんと言おうと、私は「エッセイスト」だ! 仕事を聞かれたら照れずに「エッセイスト」って答えるんだ! などと意気込んでから3日目です。

  平日のスキマ時間にちょこちょこ書ける器用さを身に着けたいものの、いつなにがどこで誰となんのために5W1H! みたいな不定リズムで娘に呼ばれるため、そのスキマが1cmなのか1mなのかが読めず、うまいこと文章をしたためられないのが悩み。

 

  そんな私はルーチンをつくるのがとても好きで、それがうまく回っていると大変心地よくなります。そこで「平日は家事に集中し、土日祝は夫に娘を託し、まとまった時間をつくって一気に書く」という、非常にざっくりした仮ルーチンをつくってみました。

  これを書いているのは当然週末です。腕をまくりにまくって、半袖の袖をDASH村に入村するのかと思うほど巻き上げて、鼻息荒くデスク前に座りました。おれのタイピングスキルが光るぜ! と興奮しながらキーボードの上にそっと手を乗せたものの、インプットされるべき言葉が出てきません。

  言葉を生み出してくれるはずの脳みそがどうも、便秘中の腸のごとく詰まり、固まっている感覚です。これはちょっと刺激が必要だなと、私がエッセイストに憧れたきっかけであるさくらももこ先生の『もものかんづめ』などを読み返してみるも、だめです。うっかりハライチ岩井さんの『僕の人生には事件が起きない』なんて読んでしまおうものなら、脳がぜん動運動を起こすどころか、「わたしはこんなおもしろいもの、絶対に書けない……」と、より強く固まってしまうのでした。

 

  私がエッセイストに憧れたのは、さくら先生のエッセイ本が次々とベストセラーになっていた1990年代、小学生のころのこと。

  ちょうど6年生のときに自分史を書くという授業があり、エッセイスト気分で書いてみたら恐ろしく筆が進んだのをよく覚えています。何度でも書いたり消したりコピペしたりできるいまと違い、原稿用紙にHB鉛筆という文豪風ハードモードだったにもかかわらず、です。

  小学6年生……12年の人生などたかがしれているのですが、自分が覚えていない幼少期のことも、母から聞かされた話をぶんぶん膨らませて1エピソードにしてしまう力技を備えていました。さくら先生の著書をなめるように繰り返し読んだ結果、幼心に、エッセイとは事実をベースにした「ほんのりフィクションなノンフィクション」であることを学んだのです。周りの子たちが苦戦している姿を見て、事実を忠実に書こうとするから詰むのだよと思ったような、気がする。

 

  歳を重ねて、ブログを開設して、ちょっとでも頭角を出したいと「食レポエッセイ」に特化してみたりしていたら、ブログ歴も早8年です。その間に学んで進化したこともあるけれど、退化というか、手放してしまったものがいっぱいあるなあと、半袖の袖をさらにたくし上げてデスク前に佇むいま、思っています。

  小学生のころに書いた自伝をちらと読み返したことがありますが、ちょっぴりの事実と過剰なふくらし粉というかんじで、言い回しがひたすらにクドく目も当てられないシロモノです。それに似たものを、このブログの初期記事にも感じます。おもしろがらせようと思って書いている演出表現がそりゃもう、クドい。

  それでもなんとか、食レポ切り口でちょびっと名をあげることができたのです。こちらから応募せずとも、グルメ系のメディアから「書いてみませんか」と声をかけていただく機会がありました。それで記事を書いたところ、編集部の方から「書き手のキャラクターがぐいぐい来る感じで読み疲れる」というフィードバックをいただき、お蔵入りしてしたこともあります。

 

  ブログを書いたり、ありがたいことに寄稿させてもらったりしているうちに、あのころ体得していた「ほんのりフィクションなノンフィクション」という感覚が薄れていきました。そのぶん、「自分」を出せば出すほどその文章には価値がなくなるのだという、新たな学びを得ました。おまえなんかの日記を誰が読むんだ、情報こそが正義だ! ということです。周りを見回せば、読者のためにちゃんと情報を発信する人には収入もついてきていた。売上が立つというのは、そこに価値があることの証左です。

  世間では、WELQ問題などを経て「正確さがなにより大事」というムードになっていった気がします。そして「不快にさせて申し訳ありません」ムーブメント。無名人であろうとも、どこからどういう切り口でお叱りを受けるかわからなくなりました。

  私はずっと「いい子」のまま大人になってしまったもので、怒られる、注意されることにとても弱いのです。誰からもキツイことを言われないように……と怯えながら、安全牌のような言葉とエピソードを紡ぐようになっていました。

  そりゃ、デスク前でキーボードに手を置いてもなんも書けないわけだわ! 「最近のちょっとおもしろかったこと」なんかに価値はないと、大半のエピソードは脳みそのゴミ箱フォルダに格納されていたんです。ゴミ箱フォルダって、しばらく放置しておくと勝手に完全削除してくれてしまいますしね。

 

  「エッセイストを名乗るには、まずはリハビリが必要なんだと思いました」というのがこの記事の結論です。デスク前で固まるのは至極当然のことで、おもしろいものを書く自信がないなどというのは過信にほかならない!

  いまの私がおもしろくないものを書いてしまうのは当たり前なのです。将来的にもそうかもしれないが、そのときのことはそのときに考えればよい。いまはこれでいい。まずは日々の「ゴミ箱フォルダ直行処理」に歯止めをかけるところからはじめましょう。スーパーに行ったら財布を忘れてきたことに気づいた、みたいなイライラや自分へのがっかりを、なんとかしてネタに昇華する強さを身に着けましょう。

  いまは「エッセイスト(修行中)」ということにしておきます。袖をもとに戻しながら、今日のところはこれで終了です。

今日のやままーケット「布団を収納するとクッションになる袋」

 シングル布団の収納場所に悩んでいました。掃除機で吸って圧縮してぺしゃんこにするのが通例でしたが、出したりしまったりするには億劫です。

 それで見つけたのが「布団を入れることでクッションとして機能させる収納袋」でした。高級羽毛布団には不向きでしょうが、たまにしか使わないシングル布団にはぴったりではないでしょうか。

 私が購入したのは下記の、コジットさんから発売されているものです。

 形が絶妙で、子どもといっしょにジョイントマットの上で過ごす際に大活躍。背もたれとして使えば授乳もらくらくでした。

 素人感覚では、圧縮袋でぺちゃんこにしたまま放置するよりも、この袋に入れてクッションとして使いつつ、クッションカバー(袋)を洗濯する際に布団を干すほうが、布団の使い心地維持にも効果がある気がしました。防カビシートもついているのが心強い。私は念のため、ドライペットも一緒に入れています。