8月、今年の春からチャレンジしていたことを辞めてしまった。
たぶん生まれてはじめて、「やりたいことがなにもない自分」に出会っている。
将来の自分よ恥じてくれ!これが「うじうじメモ」だ!
これまでずっと「やりたいこと」と「やらねばならぬこと」があったから、おのずと次にやるべきことが見えていた。それが一切なくなってしまった。
だからといって、どんよりと暗い気持ちに苛まれているわけではない。しかしハッピーでもない。ひたすらに「無」である。
仕事をする気力もなくなってしまい、この事態を見かねて差し伸ばしていただいた手も、振り払ってしまった。(ほんとうに、すみません)
養ってくれる家族がいるおかげで、毎日生きていくことには困っていない。「稼がなければならぬ」と焦らなくていい。
「やりたい」も「やらねば」もない時間を生きる日がくるとは思いもしていなかった。1日、1日がしっかりと過ぎていくことに不安はある。しかし、なにをすればいいのかわからない。なにかができる気もしない。とにかく気力がない。
いつまでこんな気持ちでいることになるのかわからないが、現状をメモしておこうと思った。少しでも早く「こいつアンニュイな雰囲気出そうとしやがって、この記事うぜえなあ!」と黒歴史化できる自分になるとよい。
「肩書き」を求めて
8月に「新たなチャレンジ」を辞めることになったきっかけは、そこでの人間関係や業界のルールに、私が息切れしているのを自覚したことだ。
最初はただがむしゃらに、マラソンでいうところの「先頭集団」のようなものについていこうとした。走っているうちに脇腹の痛みはおさまるだろう、呼吸法も安定してくるだろうなどと呑気に構えていた。(もちろん、「チャレンジ」はマラソン選手になることではない)
しかし息切れが始まったとたん、転げ落ちるように私は集団から離れていってしまった。
「こんなに必死で走って、なんになる?」
そんな自問自答が始まった。しかも本来であれば、先輩方はいまの3倍の早さで走っているというではないか。コロナのおかげでスローペースだったのだ。それでも息絶え絶えの私なんて、ここでやっていけるのか?
こんなつらい思いをしてまで、本当にやり遂げたいと思っているのか?
「それほどの熱意は、私にはない……」
この業界に身をおいていると、かっこいい肩書きが持てるのだ。私はその肩書きがほしかった。
裏を返せば、その仕事で誰かをよろこばせたいという気持ちもなかったし、腕を磨いて超一流の人間になろうという野心もなかった。「政治家という肩書きはほしいが、政治そのものには興味がありません」みたいなことである。なんと愚か。
でも私は、世界に入り込みさえすればなんとかなるだろうと思っていた。「やらなきゃいけないこと」がたくさん発生するはずだから、それをひとつずつクリアしていけば、いつかは環境に順応できるだろうと思っていたのだ。やっているうちに興味が湧くだろう、と。
甘くて浅はかな考えであることは誰の目にも明らかだろう。自分でも、書いていて情けない。うまくいかなかったのは冒頭の記述のとおりである。
思い返せば、私は物心ついたころから肩書きを求めていたように思う。有名人になりたかった。ちやほやされてみたかった。そのためには、みんなをアッと言わせる肩書きがあればいいのだと思った。
私は高校生の時点で「コピーライター」「構成作家」あたりの肩書きに憧れている。憧れるだけなら誰でもできる。公募のコピーライティングコンテストに応募するでも、深夜ラジオのハガキ職人になるべく努力するでもなく、ただ憧れるだけだった。
「いい大学行って、電通か博報堂に入ればどうにかなるっしょ!」
バーカ!
気力がなくなった
傍目から見て、私には圧倒的に努力が足りないのだと思う。でも自分自身ではがむしゃらにがんばったつもりである。全力で己の人生を好転させようと努めてきた。
転職は3回した。2019年からはフリーランスになった。「そんなに転々として……」と眉をひそめる人もあるかもしれないが、私は、満足できない日々に妥協することなく、懸命にあがいた結果だと思っている。人生を諦めなかった証である。
並行してブログ運営に力を入れたり、電子書籍を出してみたり、ポッドキャストを始めたり、肩書きを得るため、自分の名をあげるため、有名になるために必死だった。いつも「次はなにをやろうか」を考えていた。
試行錯誤を重ねていくごとに、ずっと抱えていた「有名」というぼんやりとした言葉が何を指しているのかも、見えるようになってきた。
もともとはタレントのように広くあまねく知られた人になりたいと思っていたが、どうもそんなことは望んでいないようだというのがわかってきた。「信頼できるコミュニティのなかで存在感を発揮できる人」という図が近いようだった。それを達成するにはなにをしたらいいかを考える。思いついたらやってみる。どれも小粒なチャレンジでしかなかったけれど、それを繰り返してきた。
しかし8月で「チャレンジ」をやめたことが引き金になったのか、それまで目標としていたものがまるでなくなってしまった。なんでなのか自分でもまだわからないが、「いろいろやってきたけれどなんにもならなかった」という、自分への「がっかり」のせいだろうか。
「これをやりたい」という気持ちがなくなったとたん、これまで好んでやってきたことへの興味も一気に失った。テレビやラジオのチェック頻度が著しく落ちたのだ。
「好き」だからコンテンツを摂取していたのではなく、「トレンドを押さえておかないと、気の利いたことが言えなくなるから」という理由で情報を取りに行っていたのだと初めて知った。
テレビはむしろ、観ていると不安感がつのるようになった。若いお笑い芸人、同世代のママタレなど、画面のなかの人間と自分をすぐに比較してしまう。楽しいひとときを提供する力、根性、度胸を持っている彼ら。なにもできず、責任から逃れてばかりの私。
心の底から楽しめるのは『スポンジ・ボブ』くらいだ。わざわざ観るほどのものでもないけれど、イカルドに同情していると心が安らぐ。
自分を受け入れたい
せめて少しでもなんらかのインプットをしようと、着付け教室に通っている。まだまだ不格好ではあるが、なんとかひとりで着られるようになりつつある。
でも本心から「着物が着られるようになりたい!」と思っていないせいか、家で練習することはごく稀だ。週に1度の教室通い程度では、上達スピードは上がらない。もちろん着て出かけられるようになりたいけれど、支度のめんどうくささが上回ってしまう。
とにかく、なにもやる気が起こらない。無の時間を内職にでも充てたほうがいいのではないかと思うも、おそらく引き受けたら最後、「やらねばならぬ」という焦燥感でぐちゃぐちゃになりそうだ。仕事を受けることは、とうめん不安がある。
コロナがきっかけとなり、我が家では友人知人とのリアル会食がNGになってしまったこともストレスなのかもしれない。
人と話すのがとても苦手になったと感じる。リモートで会話をしていても、些細なことでイライラするようになった。だから余計に人に会えなくなる。毎回カウンセラーと会うのでは財布がもたない。
頭のなかを空っぽにできればいいのではないかと思い、健康麻雀教室に通うことも検討したが、私は計算ができない。麻雀なんて1位じゃなきゃ無意味だ。ちょっとした点数計算で「先が読めるか」が物をいう。つまり練習したところで、私の麻雀スキルはなんの役にも立たないレベルで止まってしまう。そんなことに時間とお金を投下するのはもったいなく感じた。
それで今日、ふと思い立ってペン習字も教えてくれる書道教室に行った。書いている時間は無になれるだろうし、ペン習字をマスターしておけば、香典に名前を書くのもこわくなくなる。
無心でひらがなを書き続けた。あっというまに90分。先生にノートを見せたら、たいしてきれいでもない成果に「よくできてる」と言って、ぐるぐるの丸をつけてくれた。心がポッとあたたまる。
帰り道、先生のぐるぐる丸が頭の中でずっと描かれていた。よくわからないが、涙が出てくる。丸をつけてもらえてうれしかったのだ。
私は、自分に丸をつけたい。
先生という名の自分になんども課題を出しているのに、いまだに丸をつけてもらえない。何回も直しているのに、バツばっかりだ。いよいよ「先生」の望んでいることがわからなくなって、お手上げ状態なのがいまなのではないだろうか。
仕事のことで相談をしていた相手から、まずはしっかり休んだほうがいいとアドバイスをもらった。仕事もせず、日中に本を読んだり着付けにいったり、行動はたしかに「休んで」いるけれど、頭の中は焦燥感でいっぱいだ。たぶん、この焦りがあるうちはだめなんだろう。
これを上回る「やりたいこと」が見つかるんだろうか。それとも別の切り口で脱出できるんだろうか。自分で足掻くのではなく、待ちの姿勢が大事なんだろうか。どうしたらいいのかてんでわからない。
私は私に丸をつけたい。