言いたいことやまやまです

2022年2月に出産した1985年生まれの主婦です。資料作成が好き。

育児日誌ブログ「母になっても言いたいことやまやまです」を毎週月曜日に更新中!

おっぱいが私の存在価値をぎりぎり繋ぎ止めてくれているうちに

めちゃくちゃつらくなってしまって、実家に避難しています。

 

ひとりタイムがほしいとか、ゆっくり寝たいとか、どうして私ばっかりとか、つい思ってしまうけれど、母乳育児タイムが終わったら、私は用無し……というのは語弊があるけど、「私である必要はない」状態になるんだなあ、と。

 

私がプリプリしながら、まったくもう! とか言いながら家事育児する状態が許されているのは本当にいまだけです。子どもが哺乳瓶や粉ミルクを嫌うため、おっぱいだけは代えが効かないからです。

 

卒乳したら、どれもこれも、私でなければならない理由などありません。

夫や両親のほうが、子どもと気持ちよく付き合いながら家事育児を遂行します。ましてや、働きながら。

働いてもおらず、働くことが怖くて「働こう」ともせず、それなのに家事も育児もイライラしながらやる私は、本当にクソッタレです。

そこまでわかっているなら、おっぱいが私の存在価値を支えてくれている間に、一念発起しなければ。

 

子どもはとってもかわいいのに、心に「かわいい」と感じる力がなくなっています。逆に憎たらしいと思っているのかというと、そうではない。なんにも思わない。

なにかやりたいとか、楽しいとか、なくなってしまいました。

 

育児アプリを見ながら、義務感で、適宜おっぱいオムツ離乳食。

かわいいのに。かわいいと思えずに、ただただ目の前の作業をこなして終わっていて、本当にもったいないと感じている自分もいます。

 

疲れているんだよ、そんなときもあるよ、と寄り添ってくれる方もいます。

でもたぶん、世の中を見渡せば私は相当、育児も家事もラクさせてもらっています。それでいて専業主婦です。なんなんだろうこの無価値な生き物は。

しょっぱい顔して佇んで。イライラして家族に当たって。泣きながらこの記事書いて。

無価値どころか、他人の気力を奪う「存在が損失を生む」めんどうくさいだけの生き物です。

 

こんな母で、子に申し訳ない。そんなことを思っているなら、こんな記事を書いているなら、その時間を使って、子が誇りに感じてくれるような母となるべく、努力をしたらどうだと、もう1人の自分がつっこんできます。

 

子どもとのかけがえのない時間を楽しみたいのに、楽しみ方がわかりません。

もう1人の自分は絶えず私を叱っています。親になったんだろ、覚悟決めたんだろ、悲劇のヒロインづらをしても誰も助けちゃくれないぞ、自分でがんばるしかないんだよ、アラフォーにもなって恥ずかしいよ、いいかげん大人になれよ!

 

カウンセリングも受けさせてもらい、ベビーシッターさんのお世話にもならせてもらい、実家にも帰らせてもらい、私はいったいなんなんでしょうか。

 

誰に相談したところで、自分で覚悟決めて乗り越える以外に、自分を救う道はないと思います。わかっているのに、なにからしたらよいものやら。結局誰かに助けてもらうのを待っているんだろうな。

 

やはり私なんかが誰かの親になるだなんて、よくない決断だったんだろうか。

もっと素晴らしいひとがたくさんいるのに、私なんかにご縁が降ってきた。もっともっとその「奇跡性」を感じる必要がある。感謝してもしきれないことなんです。

 

子どものままでいたいと甘えている自分と、いいかげんにしろよと叱咤する自分。こんがらがって、つらいです。

気を紛らせるために食ってしまうのがまた、情けない。食う=自分を生きながらえさせる、ということだもんなあ。

自分なんか嫌い、こんな情けない大人に価値はない、とか思っておきながら食糧を与えているって、なかなかに気持ちの悪い行為だなあ…

 

がんばろう、がんばろう、がんばろう。

結局、がんばらなければなにも変わらない!

他人は変えられない、変えられるのは自分だけとはよく言ったもんです。