言いたいことやまやまです

2022年2月に出産した1985年生まれの主婦です。資料作成が好き。

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「うちは幼稚園から」の罪悪感を手放す考え方を見つけた

 子どもがまもなく6か月を迎えます。0歳児というのは半年折り返し地点でも盛大に祝福されるようで、自治体からお祝いのハガキをもらいました。

 

 さて同学年の子どもを持つ友人や、児童館や子ども家庭支援センターでお会いした方と話していると話題になるのが「保育園問題」です。いよいよ10月が申請のため、みなさんそれぞれに情報集めに苦心されています。

 私も当然のように「どうするの?」と尋ねられるのですが、「うちは幼稚園からにします」が回答です。

 理由はいろいろ。長らく開店休業状態ではあるものの個人事業主なので、帰るべき職場などない! というのが大きいと思います。

 そして夫ががんばって働いてくれているおかげで、私が家事育児に専念してもなんとか暮らせる!

 保育園に通わせるにもお金と時間と手間がかかるのです。そして私は外での仕事が不得手……となると、保育園に入園できたところで

 「仕事でイライラ」+「帰宅して夫と家事を協業することにイライラ」+「せっかく稼いだお金は保育園代化」=「お金も心も体力もゆとりのない暮らし」

 になる未来が見えました。

 

 でも3歳まで自力で育てようとしている最大の理由は、なんだかんだで「子どもと一緒にいたいから」かもしれません。

 子どもはいつ、なにができるようになって、どんなものが好きなのかを知っていたい。先生からの伝聞で知るのではなく、私が「発見」したい。

 日中、子どもと2人で過ごしていてうんざりすることがごまんとあるのに、こんなことを思うとは不思議なものです。

 (とはいえ、コロナ騒動下での素人マンツーマン育児はお遊戯ネタも乏しく、すぐテレビに頼ってしまうので不安はデカい……)

 

 私が住んでいるエリアでは、幸い保育園の一時保育もちゃんと機能している(預けたいときに預けられる)ようす。徐々に仕事を開始したい! となればそちらのお世話になればよさそうです。育児手当等々がないのは手痛いところでしたが、この柔軟性はフリーランスならでは!

 こうして「週5日、まるまる保育園に預ける」という選択肢はいつの間にかなくなってしまいました。こういう選択ができる環境を整えてくれている夫に感謝です。普段からちゃんと態度で示さないといかんなー。

 

 こんなことを書いていると「私だって働きたかないけれど、働かざるを得ない経済状況なのよ!」「給料はほぼ保育園代に消えるけれど、それでも働いて少しでも家計の足しにしないといけないのよ!」というご意見を多数いただいてしまいそうです。

 Amazonの育児エッセイ本のレビュー欄が刺々しい様子、さんざん見ていますからね! 「著者はうちより全然楽、贅沢言わないで」みたいなコメントをね! Q&Aサイトやガルちゃん(ガールズちゃんねる)でも「このご時世で専業主婦できるなんてずるい」とか「え、昼なにしてんの? よく暇に耐えられるね(笑)」のようなメッセージ、簡単に見つけられますもんね!

 でもそれって、みんな切羽詰まりながらも必死に、仕事と育児を両立してがんばっているってことだよな……。みんながみんな、やりがいが得られたり得意や好きを生かしたりする仕事についているわけではないもんな……。頭が下がります。

 それにしたって、ひと昔前は「そんな小さいうちから保育園に入れるなんてかわいそう!」のほうがメジャーな嫌味だったはずなのに、時代はしっかり移り変わっているんだなあ。

 

 現在の「専業主婦状態で子育てさせてもらえる環境」は、本当にありがたいものです。一方で夫に対して「お金を使うばかりで申し訳ない」という罪悪感もあるし、なんのスキルも磨けぬままアラフォーになってしまった自分へのがっかり感も強い。「暇でいいね、うらやましい」のような嫌味を言われずとも、ネガティブの自家発電は止まりません。

 だから「家事育児に専念できるなんていいなあ、羨ましい」などと言われると、相手は気軽な気持ち、すなわち「あ、それカワイイ~」くらいのノリで言っているだろうと思いつつも、どうしても、卑屈な気持ちが刺激されました。ぼる塾の田辺さんよろしく「まあね~」とは、とても返事できなかったんだ……。

 私にしてみれば、「社会的な価値(外での仕事、肩書き)があるかっこいいお母さんは子どもにとってもきっと自慢」だし、「保育園でプロの保育士さんやお友だちと過ごし、社会性を磨ける」から、保育園組がまぶしいのです。申請とか名前つけとか送迎とかその他諸々、本当にみんなよくやってるよ。かっこいいよ。

 

 でも最近やっと、「幼稚園までは家事育児に注力する」ことへの罪悪感が減りつつあるのです。きっかけは、スーパーマーケットで期限ギリギリのクーポンを使ったことでした。なんとビール100円引き券! 6缶パックではなく、1缶で100円引き! 下戸にはただの紙切れかもしれませんが、ビール大好き世帯の我が家にはかなり価値ある1枚!! 暑かったけれど、わざわざクーポンを使いに買い出しに行ってきました。

 その道中、ふと次のようなことを思ったのです。

 

 「私の手元には、令和の世では超レアな『専業主婦になれる券』がある。それを使うことに引け目を感じるのは、クーポンを使いながら『ビールを100円引きで買わせていただくなんて申し訳ない』って言っているようなもん。

 使わないなら、クーポン券はただの紙くず。魅力を感じるなら気持ちよく使わなきゃもったいない!」

 

 「働かなくていいなんて羨ましい、ずるい」と指を指されたとして、その言葉に飲まれて罪悪感を持つのはやめようと決めました(揺らぎやすいのですが)。クーポンの例に置き換えてみれば、「私はたまたまクーポン券を持っていて、その人の手元にはなかった」ということですから。

 「なんであんただけそんなクーポンを持ってんのよ!」と言われてもどうしようもない。引いちゃったんだもの。罪悪感も劣等感も、はたまた同情心も持たなくていい。「わかりあえないし、無理してわかりあう必要はない」のです。

 逆に、私が欲しくてたまらない「仕事で認められる券」「天職と出会う券」あたりは、我が手元にはなし。誰かのところにあります。悔しいけれど、それはそれでよしとしようじゃないか(これまた、気持ちが揺らぎやすいのですが)。

 

 やっとやっと「ないものを手に入れるために努力する人が偉い」という考えを手放せそうな気がするんです。アラフォーにもなると、いい意味で諦めがついてくるのかな。

 ないものをねだっていても仕方がない。ないものより、あるものに目を向けないともったいない。自分が持っているカードを気持ちよく使い果たすのが、よい人生なのかもしれないな、というのが現在の持論です。

 

 幼稚園まであと2年半かあ。子どもも私も楽しめる、どちらかを犠牲にしない日々を、罪悪感なく送っていこうと思います。

 

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