こんばんは、現場のやままです。
現場。文脈がわからないことにはなんとも言えませんが、私にとってはかなりつらい言葉です。現場仕事、大変に苦手です。
たとえばイベント運営、取材立会い、プロモーション映像撮影、などなど。なにかを企画する(というほど立派なことができた試しはありませんが)のは好きなのに、それが実現する場が苦手なのです。
新卒で入社した広告制作会社では企画職でしたが、コンペで勝ったあとは急激にやる気をなくし、自分が考えたものが現実のものとなっていてもまったく感動しませんでした。いちばんの醍醐味であろうフェーズで、なぜなのだ!
取材立会いなども大の不得手で、テレビの対応などはとりわけゲンナリします。著名な方がいらっしゃるなんて、もってのほか!
先日仕事でYouTube用の映像撮影に立ち会いましたが、やはり辛いものがありました。
なにゆえ張り切れないのか、がんばれないのかと自問自答の末にたどり着いたのは
私が大変な面倒くさがり、かつ、「べきねば」星人であるから
という見解でした。
臨機応変な対応に弱いのです。視野は広めに取れているようで、いろいろ気付いては「ここはこうするべき」「こうせねばならない」と思います。でも、それを自分でやるのが面倒くさくてならない。人に頼もうにもどう言えばいいか悩む。結果、気付いているのにできなくて悶々とするし罪悪感が湧く。結論「消えたいです」となる……。
たとえば取材が入ったときの映り込みなどです。自社製品のサンプルやポスターがチラとでも写るように配置したらよいななどと思っても、それを準備するのが最高に面倒くさいのです。かといってやらないわけにもいかず、渋々。このパターンでも、罪悪感からの「消えたいです」でバッドエンドを迎えます。
考えるだけ考えて、人にやらせるなんて最低です。何様だと。秋元康先生だってきっと現場の試練を幾度も乗り越えてきたのに、凡人の私が何を言うか。
こう思うのです。「べきねば星人」でなくなったら生きやすくなるのではないかと。非難されるでしょう、怒られるでしょう、「あの人ほんと仕事しない」なんて言われることでしょう。でもそれを受け入れて、べきねばを唱えなくなったらどうなるだろうか。
私の平日、会社での時間を虚しくつまらなく面倒くさいものにしている原因は、我が身に飼っている異星人にある気がするのです。
というわけで、こんな新刊を買ってしまった………
CD3枚も入ってるっていうから……(心屋さんは文字より語りのほうが好き)