こんばんは、占いの時間です。
めざましテレビの朝の占いの罪深さ。パッとテレビをつけた瞬間に
「今日の最下位は……ごめんなさい牡羊座でーす」
そう言われてごらんなさい(4月生まれ)。
ごくわずかな時間で読ませるのに適した、数行の「最下位っぽい」解説。なんという読みやすさ!「でも大丈夫」ラッキーアイテムまでが一瞥しただけで脳に刻まれたァ!
何が「ごめんなさい」だ!謝るくらいなら最下位なんて発表するな!!!
……自分の今日の運勢はよろしくない、という情報がインプットされてしまったらもう、逃れられません。
一方で「お願いランキング」の「答え合わせ占い」の発想には感動したものです。結果が良かろうと悪かろうとどうだっていい。寝ればリセット。誰からもやる気と活力を奪わない、平和なエンタテインメントです。
とくダネの「血液型選手権」も心が乱されにくいのでよしとします(いまもやっているのでしょうか)。
タロットカードはカウンセリングツールだ
たかだか12星座占いでソワソワする小心者でありますが、先日知人にタロット占いをしてもらいました。
これが大変、よかったのです。
いいことばかり言ってもらったという意味ではありません。向き合い方が変わったという意味でよかったのです。
スピリチュアルなものだと思って畏怖していた節がありますが、タロットはあくまでもコミュニケーションツールなのだということを知りました。
(もちろん占い師さんにもタイプや好みがあるでしょうから、あくまでも一例としてお読みください)
占ってくれた知人は精神世界と通じ合っているタイプではなく、ごく一般的な人。それもまたよかったのだと思います。
知人はカードに沿って、労い・反省・提案・励まし……いろんな言葉をくれました。思い当たるふしは数多あり、これまでのことを振り返りながらいろいろ考えさせられました。
しかしこれを「すごい、当たっている」と受け止めるには抵抗感がありました。
「誰にとっても思い当たりがある言葉を選んでいるのだろう」
役割は「あのサイコロ」と同じ
結論から言うと、「誰にとっても思い当たりがある言葉」でよかったのです。
「占い」という文字のイメージが強すぎてスピリチュアルなものを想像していましたが、「コミュニケーションツール」くらいの位置づけがしっくりきます。
「ごきげんよう」でトークテーマを決めるためにサイコロを振るのと同じです。
(ポリシーが異なる占い師さん、ごめんなさい!あくまでわたしの見解ということでお許しを)
悩もう、考えようと思えば何にだって想いを馳せられる。でもそれだとキリがないから、カードをとっかかりにする。だから「信じる」「信じない」「当たっている」「はずれている」という感想はちょっとピントがずれている気がします。
タロット占いとは「カードをきっかけに内省するためのカウンセリングツール」。もっとドライな場でも大活躍するものだと思います。占いに対するイメージが変わったなあ。