まだ考え中のまま、書き始めています。
友人の雑談に付き合ってやるような気持ちでお読みいただけたら幸いです。
産後、「週末」が苦手になりました。
家族そろって出かけられる貴重な時間ですし、楽しい日もたくさんあるのですが、イライラしたまま2日間が過ぎてしまったな……と思う週も同じくらいたくさんあります。
これが実に疲れるのでどうにかしたく、つい先日には、怒ること自体をやめる「ノン怒チャレンジ」なるものに挑戦していました。
結果はもちろん玉砕ですよ!!!
先週末もイライラしてしまったなァ~! 夫よスマン!
▼ノン怒チャレンジについてはこちらの記事で書きました
初の子育てライフ、毎日余裕がありません。
仕事をしておらず専業主婦状態のため、日中は児童館と子ども家庭支援センターをハシゴです。
スキマ時間で家事をして、朝のうちに仕込んでおいた材料をホットクックに突っ込んでスイッチを入れて、離乳食をあげてお風呂に入れて寝かしつけたら1日が終わる。
子どもは早く寝てくれるタイプですが、その後に自分のやりたいことをやるパワーが残っている日はほぼありません。
(働いてもいないくせに、子どもひとりしかいないくせに、というご指摘はごもっともですが、一旦スルーしますね!!!)
自分のなかに余白がまったくない感覚です。すると、
「こうあるべき」という考えに縛られがちになるし、
ちょっとした失敗で「私は存在価値がない」くらいのショックを受けるし、
夫に「もうちょっと気を利かせてくれたっていいのに!」と自分基準で勝手に期待して勝手に裏切られた気になってイライラするし(ほんとごめん)、
……とまあ、とにかくいいことがひとつも起こりません。
必要経費だと割り切ってベビーシッターさんに来てもらい、子どもから離れる時間を設ける工夫もはじめました。
この時間があるとないとでは全然違う、という実感はあれど、やっぱり週末にイライラしてしまう傾向があります。
どうしてイライラしているのか、心の奥底の声に耳を傾けてみました。
厚かましくて情けないクソ妻・クソ母であることを突きつけられて辛いのですが、書き出します。
- 土日は休みたい
- 土日は好きなことをしたい
- 夫に、家事をがんばっていることに気づいてもらいたい
- 夫に、がんばっていることをひとつひとつ褒めてほしい
といったことを訴えている幼稚な自分がいるのです。
この訴え、理不尽を多分に含んでいます。
まず、土日しか休みがないのはむしろ夫。
子どもの世話があるために休日に自分の好きなことができないのも夫です。
そして彼が仕事をどんなにがんばっていても、私がその内容を把握して褒めるなんて無理な話。
なのに私は彼に対して要求してしまっているのです。我ながらひどいと思う。
こうして内省してみると、私の「週末イライラ」のネックになっているのは「満たされるわけがない承認欲求」なのだとわかります。
より具体化すると、「私ががんばっている家事に気づいてほしい、そして褒めてほしい」という「褒め欲求」です。
とくにフラストレーションが高まるのは、「やりたくないけれど仕方なくやっている家事」をしているときのようでした。
要は「我慢」の報酬としての「褒め」を求めているのです。
シャツのアイロンがけであったり、風呂場全体の掃除であったり、布団カバーやシーツの洗濯だったり……平日に積み重ねた気持ちが、週末にいっぱいになるのでしょう。
新米母を励ます常套句のひとつに「掃除をしなくたって死にはしない」のようなものがあります。
なるほど、イライラを溜めてまで本当にやらなきゃいけない家事なのか? を自問する必要があると思いました。
それじゃあたとえば、大掛かりな家事である布団カバー洗濯はどうだ。
面倒くさいし疲れるし、かなり、やりたくありませんが、それでもやっぱり、これはやらねば!
汗汚れやダニが繁殖した寝具で自分が寝たくないからです。
風呂掃除も、浴槽だけでなく部屋全体をきれいにするとなるとけっこう面倒ですが、私にとっては「やらねばならぬ家事」の代表格。
汚れが溜まりに溜まってからの掃除が憂鬱すぎて、こまめに掃除するほうがまだマシだからです。
これらのような家事はサボるとむしろストレスが強くなりそう。
では我慢しながらやっていて、かつ、サボることでイライラが手放せて、私がやらなくても家族がたいして困らない家事ってなんだろう?
思いついてしまったのが「料理関連」でした。
料理って、「つくる」だけではない。
とくに物価高ないま、スーパーの安売り食材を買いに行って、その材料から献立を考えて、作って、食器洗って、拭いて、片付けて。
夫婦間で食べ物の好みが違います。さすがに夫が食べられない献立にするわけにはいきません。
子どもをおんぶしながらとか、寝ている間にそーっととか、つくる段取りも工夫が必要です。おんぶも、長時間は腰がもたないし……。
食洗機に助けられていますが、皿の入れ方、けっこう工夫が要りますよね!? 完全に乾いて出てくるわけではないので、後片付けもそれなりに(私にとっては)労力のいることです。
「専業主婦はそれが仕事だろ」「これをサボるなんて怠けすぎ」と言われれば返す言葉もありませんが、この一連の仕事によってイライラが蓄積されているのは事実。
夫は一人暮らしの期間が長いので、自力で食料を調達できるはずだ、と思いつきました。
むしろ「自分がそのとき食べたいものを食べたい」気持ちのときもあるでしょう。
だから「今日の食事は各自で手配!」と宣言したって支障は出ない!
それでも意固地になって自炊をがんばるのは、「節約で家計に貢献」の意図もあるけれど、「働かざるもの食うべからず、主婦なら料理をしないと世間(の象徴としてのTwitter民やYahoo知恵袋民)に叱られる!」という恐怖心からでした。
これもまた承認欲求なのですよね。
世間に認められる自分でいたい、というか、見くびられる対象になりたくない、という承認欲求。
「夫の服のアイロン掛け」なども同様です。ちょっと古い考えですが、「ヨレヨレの服を着ている男の妻は、ろくでなしだと思われてしまう」という恐怖。
私がアラフォーになってとみに思うようになったのは、人生に必要なのは健全な諦めや妥協だなあということ。
なにごともトレードオフです。
欲しい物を手に入れるために時間やお金を消化したり、人との関係性を犠牲にしたり。
やりたいことを叶えるのは、我慢できることを選ぶのと表裏一体です。
話を戻します。
私がいま叶えたいのは「週末のイライラを手放すこと」。
その原因は褒められ欲求にありました。
どうして褒められたくなるかといえば、「世間から否定されないために、我慢してやっている家事」が多いから。
我慢の報酬としての褒め欲求なのです。
「褒められたい承認欲求を諦めて、家事の手を抜く」か、「世間に”主婦としてちゃんとやっている”と思われたい承認欲求を満たす」のどちらかしか選べません。
両立不可なのは、もう、よくわかりました。
我慢して家事に励んでも世間に認められる実感はないし、家族が褒めてくれることもない。
(いずれにせよ、他者を都合よく動かそうとしている時点で負け戦なのですが)
この、努力も我慢も中途半端な状態をやめようと思います。
諦めるのは、「会ったこともないし私の人生に関わってくることもないであろう、カギカッコつきの『世間様』に認められること」!
「専業主婦なのにこんなこともしてないの!? サボりすぎじゃない!? 甘えすぎじゃない!? 何様なの!?」と思われてもいいことにする!
家族に指摘されれば直しますが、逆に言えば、家族がうまく回っているなら家事の手を抜きます!!
前述の料理だったり、アイロンだったり。
まともな人ならば
「そんな一大決意をせずとも、赤の他人が言うことなんて気にしなければいいだけでは……」
と思うのでしょうが、褒められることを生きがいにしてきたイイコちゃんのままおばさんになってしまうと、他人からの評価がないと自分を認められない、不便な体質になってしまうのです。
他人はコントロールできない、変えられるのは自分のことだけ、と頭でわかっていても、相手からの褒めリアクションを求めちゃうんだから困ったもんです。
でもそういう性格なんだから仕方ない。
長くなりました。
まとめると、「我慢の家事」を減らして、他人から褒められようが褒められまいが、自己満足できる範囲で家事をがんばることにします。
そうすれば週末のイライラも減るのではないか。今週から実験してみます。