こんばんは、読み手のことを考える時間です。
ブログに限らず、受け手(読み手)のことを第一に考えるべきだという話があります。商売であれば「お客様の気持ちになって」です。
翻って私ですが、ブログを読んでほしいと思っているくせに「読者さんのことを考えて……」という意識が著しく欠如している自覚があります。読みやすさや情報のニーズを考えずに書きなぐる日々。完全に自己満足で書いているのです。それで「読んでほしい」だなんて、傲慢にも程があると反省しきりです。
ですから「PV数が増えてほしい」という気持ちを抱くたびに、罪悪感が湧きます。読んでくださる方のことを考えていないのに、想っていないのに、欲ばかり湧いてくる自分はなんてダメなやつなのだろう。人として情けない。
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先日、いわゆる「著名人」とのお仕事をなさっている方とお話する機会がありました。その方はファンとの交流を得意としておらず、ファンレターなどをもらっても、御本人がお返事を書くようなことはないのだそうです。それよりも、自分を高めることに注力しているのだとか。
それを聞いて、自己研鑽もまたファンサービスのひとつの形なのだなあと感じました。私はただの一般ピープルですし、その話と私のブログを一緒くたに考えるのは「話が違う」のですが、「読者さんが求めている情報を!」と思えなくても、「私自身が面白いと思うことをして、書きなぐる!」ことをすればいいのではないかなとふと思いました。
よく、日記記事なんてクソだというご意見を拝見します。私自身もそう思います。読まねえよと。でもそれとクソは一致しないのです。あなたは読まないかもしれないが、その記事はクソでも何でもなく、他ならぬ「日記記事」としてひとつのコンテンツになっているのです。凡人の日記なんて読みゃしない。そう思います。でもその凡人が実は同じ郷里の人だと知ったら?趣味が同じだと知ったら?職場が近いと知ったら?……そこに親近感がわき、凡人だパンピーだとわかっているのになぜか記事を読んでしまう現象が起こり得ます。
私はこの記事を自分のために書いています。書きながら言い聞かせています。私の日記なんて誰も求めていないけれど、それは「イコール クソ」ではない。
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ここ数ヶ月で気をつけていることですが、「気が利く」「気遣いができる」「ちゃんとした」振る舞いをすることなんかより、自分自身がワクワク、楽しくなることをするのを最優先にできるよう努めています。たとえば昨年、会社の忘年会をサボりました。ワクワクしなかったからです。
私は気持ちが全部顔に出るので、渋々と気を遣えばその渋々が顔に出てしまうのです。顔に出ないように努めろというのはごもっともですが、できないもんは仕方がない。
逆に楽しいときもまた、それがすべて表れます。心底楽しかったときほど、「あのとき楽しかったね」という声が届くからおもしろい。たとえ気が利かなくたって、楽しそうにしていることのほうが、「よい後味」を生むのです。これは、毎朝つけている日次レビューで気づいたことです。
▼日次レビューについてはこちらで書かせてもらいました
日次レビューがつらい | ライフハックマガジン
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今日の記事も日記です。読者さんのことなんて考えていない、自分のための記事です。でもいま、いつもどおり22時に公開予約を設定しようとしています。生きている証を書き記すことに罪悪感なんて抱かなくてよいのです。