こんばんは、ボランティアの時間です。
イベントのお手伝いをしてきました。
当日のお手伝いに加えて前日準備もあったのですが、当日の数時間だけしか手伝えないという方もいらっしゃいました。
いろいろご事情はあるものです。短時間だからだめということはありません。猫の手も借りたいとき、人の手が借りられて嬉しくないわけがない。
しかし、わずかな時間しか手伝えないのに、ものすごくお客さんぽく振舞われるとあたまに来ます。
「私は何をやればいいの?」
というやつです(しかもちょっと偉そう)。マニュアルは事前に配布されていますが、読んでいなけりゃプリントアウトもしてこない。質問力だけは達者で、こういうときはどうすればいいのかとひたすら尋ねてくる(それ、マニュアルに書いてあるじゃん。それ、さっき言ったじゃん。ということが多い)。
いや、働ける時間云々とは別問題ですね。長く働いてくれるといっても、このスタンスだったら長居されたくないと思ってしまう。
ボランティアは無報酬です。でも、やるならそれは仕事だ。受身な姿勢のままで参加されると、まるで「手伝ってあげているんだから」と言われているような気分になります。いらない。あなたに頼んだ覚えはない。あなたには頼みたくない。
やると決めたら、やろうぜと思う。超積極的になれとは思いません(それはそれで暑苦しくなったりするし、〜すべき!という思考に囚われていて重たかったりする)。でも、脱・受身で、ほんの少し手を差し伸ばす姿勢をみんなが持ち寄ったら非常に効率がよくなるし、気持ちのいい場になるよなあ。
短時間しか手伝えないなら、マニュアルはしっかり読んできて的確な質問をするくらいの状態で臨みたい。そこまでできずとも、謙虚な姿勢、いま自分にできることはないかを探す姿勢で臨みたいのです。
……と、ここまで書いて「またしても“〜すべき”思考」に陥っているなあとがっかりしている自分がいます。
手伝うならこうあるべき!という思いが強すぎて、そこから逸脱している人に「なんてダメな奴なのだ」と苛立つのは自分にも他人にも善いことではない。イライラすると老けます。
マニュアルを読んでこないうえに「私なにすればいいんですかあ」と言われたとして、いらいらしながら説明しなくたっていいのです。「書いてあるんで読んでください」でいい。ぐちぐち言われても、強い気持ちで「読んでください」を貫けばいいのです。ぐちぐち言われたくないなら折れるしかないけど。
そもそも、「指示待ち勢」は本当に「悪」なのか?率先して手伝えば「善」なのか?どちらが優れていて、劣っていてということはないんじゃないかと思い始めました。
私が「率先して手伝う姿勢」をよしとしているのは、自意識過剰で褒められたがりだからです。ありがたいと思われたいとか、働き者たちに一目置かれる存在でありたいとか、そういう下心ゆえにがんばっているだけです。がんばりたいから、がんばっているだけです。 それは善とか悪とかとは別の話題だと思うのです。