言いたいことやまやまです

2022年2月に出産した1985年生まれの主婦です。資料作成が好き。

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昼スナック、お客様ゼロを記録

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毎週金曜日の午後、赤坂で「昼スナック」のママをやっています。

今日は臨時で、女性限定デーである火曜日のママを担当しました。

上記つぶやきのとおり、「おなごは甘いものが好きなんや!」というハリキリから、前日に浅草の亀十に行ってどら焼きまで買ってきたのです。

しかし………

結局、本日は「来店者ゼロ」を記録してしまいました。

 

「お誘い」の罪悪感

オーナーママにその旨をご報告したところ、「個別にアプローチはしてみた?」との問いが。

そう、わかっているのです。イベント等をやるときは、地道に、個別に、声をかけ続けるのがとても大事だと。

会社員時代は広報職に就いていたこともあり、ダイレクトアタックが大事であることは、いろんなところで聞いてきました。

役者をやっている友人や弟も、舞台のたび懸命にLINE等で声をかけていました。売り上げ次第で赤字にもなりましょう。彼らは必死でした。

しかし今日、私は、個別アプローチはできませんでした。

今日に限らず、いつもできません。

どうしてもやらなくてはならないときは、ものすごく文章を推敲して、送信ボタンを押すたびにゼーハーと息を整え、手を冷たくしながらクリックしていたものです。

広報職をやめた大きな理由のひとつは、メディアアプローチが大の苦手だったからというのもあります。

なぜって、ものすごい罪悪感を抱いてしまうからです。

私は大変に心が狭い「べきねば人間」なので、宣伝メールを受け取る側になったとき、「この忙しいときに、”返信”というひと手間をかけねばならんではないか!」とイライラします。

名刺交換しただけでメルマガが届くのも、「そんなに怒らんでも」と自分で自分に言いたくなるくらい、瞬間的にムッとします。

メルマガに配信解除ボタンがなかったらもう、瞬間的に激怒です(受信拒否するとか、簡単な方法はいろいろあるのにね……)。

そんな私が、平日の午後だけ営業する「昼スナック」のお誘いなどできましょうか!?

私のようにフリーランスでちょろちょろ仕事をしながら主婦をやっているような人は、少数派。みんな忙しいのです。

連日にわたって深夜残業をしていた時代、早い時間に上がる人から呑気な飲み会の誘いなどを受けようものなら、大変にキリキリしていました。

私の要領が悪いだけなのですが、「暇なおまえとは違うんじゃー!」みたいな苛立ちを抱えていたものです。

……とまあ、こうした「お誘い関連」で自分が抱いてきた負の感情が蘇ってきて、「個別のお誘い」=「悪いこと」だと感じてしまいます。

抱いているのは罪悪感ではなくて「恐怖」

さらに言うなれば、忙しいなかわざわざスナックに足を運んでくれた結果、待ち構えているのが私です。

会って何のメリットがある!!!

なんの特技も、専門ジャンルも、好きなことすらもない、無特徴人間です。

「おまえごときのために来てやったんだ、カネをとるとは何事か! むしろ足代出せコノヤロー!」くらいに思われて然るべき。

そんな気持ちでいっぱいだった私は、オーナーに

「個別に誘うのは、自分が誘われたときに抵抗感や嫌な気持ちがあるので、できない」

と伝えました。

すると「えっ、自分のことを思い出してくれたんだ! って喜ぶ人もいるよ!」との返答。

そういうもんなのか!!!!!!!!!(目からうろこ)

いや、でも待てよ……私も確かに、自分が尊敬している人からイベントのお誘いを受けたら、うれしいかもしれないぞ……。

いや、でもでも、さらに待てよ……それは「尊敬している人」だからではあるまいか? 

オーナーも有名人だ、声をかけられたらうれしいに違いない。

それに引き換え私は? 凡人じゃん! 喜ばれない! やっぱり煙たがられる!

 

……とここまで書いていて、気づきました。

私が「お誘い」できない理由は罪悪感ではなく「恐怖」ゆえです。

 

文中で「私はべきねば人間だ」というフレーズを使いましたが、自分を「べき」「ねば」で縛り付けているのは、己の存在価値にまったく自信がないことが理由なのです。

「こうあるべき」「こうせねば」という定規を片手に、一定の基準以下のものに「ダメなやつ」というレッテルを貼って、必死に自分の存在価値を保とうとしています。

絶対評価で自分を見つめることができないので、相対評価で「私は彼らよりマシ」と思い込むことで、なんとか自分の価値を保とうとしているんです。

失礼極まりないし、人間的にどうかとも思います。でもそれ以外の方法がいまだに見つけられないのです。

今回でいうと、ズカズカと直接お誘いをするような行為は「ダメなこと」だとジャッジして、「私はそんなことをする人間になりたくない! みんなにイラッとされる人間にはなりたくない!」と心が泣きわめいている……といったところでしょうか。

「自分に自信が持てればいいのに」ではなく、「自分に自信を持たせる!」

でも「べき」「ねば」は幻想なのですよね。

ところ変われば、人が変われば、基準なんてころっと変わります。

 

話は変わりますが、先日Twitterでこんなアンケートをとりました。質問文の作り方が下手くそなんですが……

私の中では「○○屋」という書き方は、当人に対して乱暴で失礼な表現であると思いこんでいました。

書くなら「さん」をつけるか、「○○店」だろ!と。しかし結果は上記のとおりです。

べきねばの定規は、世間との共有尺度ではないことがよくわかります。自分にしかない、ひとりよがりな目盛りが打たれているだけなのです。

これまで幾度となく、

自分に自信が持てればいいのに。
自分のことを好きになれればいいのに。

……と、思ってきました。

でも願ったって手に入らないのです。願ってそうなれるなら、こんな気持ちを抱えたまま35歳にはなっていません。

ならば外部刺激をつかって「結果的に自分に自信が持てた」という流れをつくるしかありません。

今回でいうと、「個別にアプローチをする」

「必死になる」と言い換えてもいいかもしれません。

自分に自信がないから、「お叱り、注意、嫌悪感を示されること」にとてつもなく打ちのめされます。「やっぱり私には存在価値がないんだ!」と傷に塩を塗り込む感覚になります。

でも実際は、私自身の価値は否定されていないことのほうが、多いんですよね。

必死になればなるほど、お叱りや注意をいただいたときのダメージが大きくて、「こんな気持ちになるならもう嫌だ」と思ってやめてしまう。もしくは、必死になる直前で力を抜いてしまう。それが私です。

だからこそ、個別に、アプローチしてみましょう(=必死になってみましょう)!

その結果、嫌々ではなく喜んで来店してくれる方に出会えたら、きっと少し、自信がつくはずです。荒療治するしかない。

金曜日に向けて、大変恐縮ながら、ちょっとずつ声をかけていきたいと思います。

自分が価値ある人間だったら、特徴のある人間だったら、こんな苦労はしないのかもしれない……なんて思っている自分が、いまここにいます。そこに引きずられてはダメ! 動かないと変われない!

……というわけで、お声がけ、がんばります。

知人各位。声をかけられたくないようであれば遠慮なく言ってください。私は宣伝系の連絡をもらうのが好きではないので、お気持ちよくわかりますゆえ……。

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