こんばんは、いか天大王の時間です。
母がくれたものです。食べるのは初めてですが、ひと目で気に入りました。キングどころか「大王」です。私にとっての大王といえば、カメハメハ大王か大王製紙くらいのもの。それが「いか天」ですからね。
「大王」たるゆえんは、上の写真のとおり、厳選された食材にあるようです。
「するめの胴部分だけをローストして、衣をつけてなたね油でフライ」とすれば一文で済むというのに、敢えて(耳部分は使わない)(ゲソ部分は使わない)と、(〇〇は使わない)というフォーマットで2度にわたって攻めてくるのです。カッコ()も、いい味出してる。
そして、こんなに箇条書きっぽいのに「なたね油でフライ。」と句点で締めくくられているのもいい。
さらに、少しスクロールして上の方を見てみてください。「いか天大王」にはマルRがついています。登録商標なのです。
「大王の座は譲らない」
この強い意志。これが俺たちのリーダー。親切にも「だいおう」とふりがなを振ってくださるやさしさ、痛み入ります。これがないと「いかてんのおおきみ」などと読んでしまうかもしれませんものね。
こうしてじっくり読むと、ますますファンになってしまいます。噛めば噛むほど味わい深い。あたりめだけにね。(ヨッ!)
そんないか天大王は、とてもおいしかった。しっとりとやわらかく、その名の通りのビッグ・キングな満足感を与えてくれました。
しかし、申し上げたいことがひとつあるのです。
写真で察していただけますでしょうか。私は切れ込みを無視してハサミで開封しています。
袋の下の方はこんな具合。つまり、タテに開けろと。しかも上から下までフルオープンしろと、王は暗にそうおっしゃっているのです。
もうね、「そんな馬鹿な!」です。大王よ、残り僅かな平成の世では「包装材でいかに気を利かせるか合戦」が至るところで勃発しているのですぞ。
おしゃぶり昆布なんてジップロック型の袋に入っていますし、先日購入したコンビニ惣菜のタマゴサラダの袋なんて大王の半分くらいの大きさなのに4か所も切れ込みが入っていました。そうそう、細い箱に入ったキシリトール入りガムなんぞ、「中身が減ってきたら箱を折りたたんで使ってね!」と、軽く折り紙工作までさせてくれましたよ。
それなのに、いか天大王様ときたら!!!
大王のゴーイング・マイ・ウェイな姿に力をもらった
私はそんな大王と対峙してハッとしました。
「タテ開けは嫌だから」などという理由で「いか天大王」を避けるでしょうか?いや、そんなことはありません。大王にはしっかりとした実力がありますし、ちょっとチャーミングなところも素敵です。気の利かない包装など、あまりにも些末な問題です。
なのに私は、普段「気の利かない包装」のことばかり考えていないか?
ちょっと気の利いた奴になろうとして、本題を見失いすぎている。それはたぶん私だけでなく、「気の利かなさ」を指摘して苛立ちをあらわにする輩がいる。
「ふつうジップロックタイプにするでしょ!
百歩譲っても、切れ込みはヨコ向きに入れるでしょ!ふつう!」
それは「ふつう」なのか?「ふつう」ってなんだ?「ふつう」がなくても愛されてしまう「いか天大王」とはなんなのだ?
「ふつう」とは、大王のような確固たる自信が”ない”人たちの超強力シールドなのです。中身に自信がないから、スーパージップロックで勝負する。でも自信がないことをどこかで自覚しているから、ジップロックじゃない「いか天」を軽蔑するような素振りで自分の価値を主張する。
この自信の根拠を「実績」に求めてしまうけれど、それは後からでもいいような気がします。よく言われるように「自信とは自分を信じるちからのこと」だとするならば、とりあえず自分だって大王なのだと思い込んでみるところからスタートしたい。
「ふつう、率先して電話に出るべきだ」「ふつう、ぼーっと立っていないで雑用をどんどんこなすべきだ」「ふつう、ある程度は残業すべきだ」……ほかにもいろんな「サラリーマンのふつう」があるけれど、これをちょっとずつ無視していけるようになりたい。周囲はイラっとするでしょうけれど。でも、代わりにといってはなんだけど、商品紹介文なんていくらでも書くし、パワポの企画書なんてなんでも書くし、接待の場なんていつでも呼んでほしい。
……とはいえやっぱり舌打ちされるので、それに怯えて、「ふつう」をがんばろうとしてしまいます。大王なのに指図されるのをヨシとしているなんて悔しいぜ!
ポテトチップスだって元祖ココナッツサブレだって、あんなに気の利かない包装なのに売れているというのに!