こんばんは、家庭の味の時間です。
少し実家に帰っていました。牛乳スープ(シチューと呼ぶにはサラサラすぎる)が余っていたので、いただきました。上記写真です。飲みかけている最中に撮影したこともあり、「インスタ萎え」に拍車がかかっていますがご容赦ください。
でも、こういうのがうまい。
何度も温め直されるなかで生き残っている野菜と、「具が減ったから」といって急遽投入された野菜の、色のコントラスト。死んだような色の野菜が浮いている家庭のスープは、よいものです。
手間暇かけた感じが”ない”ほうが、沁みます。辰巳芳子さんが教えてくれるようなていねいなスープがもちろん素晴らしいのだけど、ほんだしウェイパー鶏ガラスープの素でいいのです。
そこには生きた時間が流れている気がする。そこには生活があることを感じる。
手間ひまかけたスープ以下のものではあるだろう。でも、めんつゆを湯で薄めて飲むような「ひとりぐらし汁(私だけかもしれない)」より、遥か上。
たぶん超おいしいわけではないのに、あまりにもホッとするものだから、たいそうおいしいように感じてしまいます。
この日はたまたまスープでしたが、それ以外でも、実家に帰ったときに前日夜の残飯を見つけると、妙にわくわくしてしまうのです。
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きなこさん(id:kinako-sp)のブログで公開されていた、おすすめレシピ本を紹介する記事にこんなことが綴られていました。
今も昔も、そんなに料理に手間暇かけてた家庭があるかというと、そうでもないと思うんです。だしの素、家になかった?って。お母さん、めんつゆ使ってなかった?って。
食卓においては、手間暇かけたっていうことよりも「食べたことのある味」の方が美味しいと感じやすいのではないかと思うのです。
生活は現実なんだなと、彼氏に手料理を作ると思います。
彼氏が共働き家庭で育ったというのもあってか、ただただキャベツを炒めて、味噌ダレで味付けしたら「なんでこれあるの!?!?これ昔よくおふくろが作ってた」と言って、喜んで食べてました。「おかわりないの?」的な勢いで。
は~~~こんなもんなんだな~~~!!
手抜き料理のほうが意外と喜ばれる、というお話で締めくくられていたのでした。身体にいいことも大事だろうけれど、市販のお手軽調味料でつくる料理のなんとも言えぬ安心する味わいは、捨てがたいものです。