大事なお祝いごとがあった。
せっかくなら、うんとおいしいものを食べたい。どうせならご馳走したい。
そのときなんだか気が大きくなっていて、つい、「代々木今半」を予約してしまった。
浅草でも人形町でもなく、代々木の今半。
「お店、代々木の今半を予約したよ」
「え、代々木?」
そんな会話の1往復で食通気分になりたかったのも、予約した理由のひとつだったのだろう。
代々木今半さんは、しゃぶしゃぶを中心としたお店。
名物は和牛のタンしゃぶで、日本で初めて提供し始めたのが代々木今半さんなのだそうだ。
極上のお肉を最高においしくいただくために、店主の高岡さんが丁寧に熱く、お肉の個性と食べ方を教えてくれるのも魅力だ。
(タンしゃぶ以上に、この口上こそが代々木今半さんの名物であると思う)
しゃぶしゃぶ三剣士に圧倒される
コースは1万円前後で数種あり、牛タン、黒豚、和牛の順で、3種のお肉のしゃぶしゃぶが楽しめる。
そう、名物が最初に提供されるのだ。
豆苗がたっぷり盛られた名物・牛タン皿は、生肉の状態から美しく、あまりにフォトジェニック。
それを8種の自家製塩でいただくというのだから、これを「最初からクライマックス」と言わずしてなんと表現しようか。
そのあとに控える黒豚、和牛のすばらしさも言わずもがな。
先鋒として現れたイケメン1年生剣士の美しさと強さに興奮したのち、副将の心の強さと主将の風格にしびれて、「こ、この高校には勝てん・・・」と涙を呑む剣道部の心地である。・・・などと、剣道知らないのに例えてみました。
和牛はこうして、巻いてからしゃぶしゃぶすることで、ほどよいレア感が味わえる。
もちろん、高岡さんの「教え」だ。
鮮やかな菜箸さばきで牛肉を巻きながらお肉の魅力を語る姿は、さながら「師範」である。(剣道の例えを引きずっている)
主役級の脇役
「代々木今半」と検索すれば、Googleでも食べログでもRettyでも、「最高」「絶品」といったコメントとともに、タンしゃぶの写真がわんさかと現れる。
黒豚や和牛のおいしさも、数々のレビューで熱く語られている。
だから私は、「野菜のおいしさ」について記しておきたい。
タンしゃぶがおいしいのは、添えられた豆苗がいい仕事をキッチリこなすニクイ奴だからだ。ほのかな甘みが、お肉と自家製塩が醸し出す旨みとあいまって、美味への興奮につながる。
さらに私が感激したのは、このタンしゃぶののちに現れる「野菜しゃぶしゃぶ」。
この日のラインナップは、きのこに白菜、かぶ、ねぎ、冬ならではのちぢみほうれん草、そして枝豆豆腐に、「くずきり」(断じてマロニーではない)など。
お肉と同様に、それぞれの食材がいちばんおいしくなる食べ方を教わりながらいただく。
かぶが、ねぎが、口の中で溶ける。
ポン酢にくぐらせたはずなのに、なんでこんなに甘いんだろう!
もしかしたら、タンしゃぶ以上に感動してしまっていたかもしれない。
主役を務められるレベルの脇役たちの、名演技。
定食屋さんで、主力のお魚料理がどんなにおいしくても、ごはんが不味いと心底がっかり、失望するもの。
脇役あってこその主役の輝き。代々木今半さんはやっぱり、名店だ。
馳走は人のためならず
代々木今半さんには、かつて、親に連れられて伺ったことがある。我が家の超スペシャルデイだったのだろう。
そのときも、なんておいしいんだろう、と感動した覚えはあるのだけれど、この日ほどの多幸感は味わっていなかった。
自らお代を出し、いただく。
正直言って高かった。普段はせんべろ居酒屋で済ませているのだ、ゼロがひとつ増えている。財布大打撃。
でも、だからこそ丁寧に味わった。
口の中の幸せを、雑に胃袋に送り込むようなことはできなかった。
親にご馳走になったころの自分が言った「おいしかった」と、この日の私が言ったそれとは、重みが違う。
そしてもうひとつ。
お祝いとして、大事な人に「ご馳走させて」もらったことだ。
この食事は、とっておきのプレゼントだったのである。
「すごい!」「おいしい!」という驚き、喜び。
私が「最高においしい」と思うものに共感してくれる、その反応ひとつひとつが、本当にうれしいものなのだということを初めて知った。
せんべろ居酒屋で後輩にご馳走することはあっても、こんな気持ちは得られなかった。
「情けは人のためならず めぐりめぐりて己が身のため」という言葉があるが、真のご馳走もまた、人の喜びのためでもあり、己の悦びのためでもあるのかもしれない。