こんばんは、仏教の時間です。
読者さんからお薦めいただき、たかのてるこさんのエッセイ『ダライ・ラマに恋して』を読んでみたところ、心が洗われました。
失恋で絶望していた著者がニュース映像を通じてたまたま遭遇した「ダライ・ラマの笑顔」。その笑顔と教えに惹かれたたかのさんの、「ダライ・ラマに会う」ことを目的にしたチベット&インド旅行記です。
心地よい読後感を、生き方に悩む同志たちにお届けしたく、一部をご紹介します。
- チベット仏教の教えから「生き方」を考える
- 不幸せな生き方の原因は「執着」
- 幸せになりたいなら、ちょっぴり周囲を幸せにしてみよう
- 取り越し苦労が「幸せな生き方」を遠のかせる
- ベストな生き方がわからないからこそ、「今」を豊かにしよう
チベット仏教の教えから「生き方」を考える
たかのさんが旅先で出会った人々との会話を通じて、日常の風景からチベット仏教のなんたるかを垣間見ることができます。
後半の重要人物である、教師をしているカルマという名の青年が語る「仏教のイメージ」がおもしろかった!
「仏教では、神は万能な存在ではないんだ。ブッダは『どう生きるか』という道を示してくれるだけで、何もしてくれないんだよ。
僕は仏教徒だけど、仏教は宗教ではなく、“自然科学” だと思ってるぐらいだ」
そんな彼は、「ブッダの教えで大事なことは2つ」だと言います。
ひとつが「原因と結果」。
もうひとつは「すべての事象は永続しない」。
不幸せな生き方の原因は「執着」
「原因と結果」「すべては永続しない」という話を説く青年カルマと、大失恋に傷ついたたかのさんのやり取りが、チベット仏教をわかりやすく教えてくれます。
カルマはたかのさんにこう話します。
「恋愛だってなんだって、自分の身に起きたことの原因は自分自身にもあるんだ。
きみがこれまで考えてきたことが、きみを今の環境に導いてきたんだよ。
環境が人を作るんじゃないんだ。環境は僕たちに、僕たちがどういう人間なのかを教えてくれているだけなんだよ。
(中略)
執着すればするほど、幸せは遠ざかっていくんだ。ただ愛せばいいんだよ、執着せずに」
「すべては永続しない」。だからパートナーやわが子を永遠につなぎとめようと必死に束縛しても、意味がないのです。
束縛する気はなくとも、
「今日はどこに行くの」「何時に帰るの」「ちゃんと部屋を片付けないと」「あまりお金を使いすぎてはダメ」「もっと野菜も食べて」
……といった態度は相手にとって愛を感じるどころか、重荷になります。執着されていると感じてしまう。
たかのさんはこう記されています。
「恋愛だけでなく、親子の関係でも、執着はよくないものだね。
今考えてみると、自分が親にしてもらって一番嬉しかったことは、執着されないで、ただ愛してもらったことだったよ」
(中略)
なんでも永遠に続くと思っていると、関係がダレて、あぐらをかくことになる。
よく『釣った魚にエサはやらない』なんて言うけど、相手のことを「自分のモノ」だと思い込んで大事にしなくなるから、熟年離婚とかになっちゃうんだよな。
関係性は常に変わっているのだということを、私は痛いほど思い知らされた気分だった。
パートナーだろうと我が子だろうと、仕事だろうと住環境だろうと、なにかに夢中になるのは悪いことではありません。きっと人生を豊かにすると思います。
大事なのは、自分や相手の心の移ろい、時間の流れといった「変化」を受け入れることだと思いました。
幸せになりたいなら、ちょっぴり周囲を幸せにしてみよう
チベットの人々の生活には、チベット仏教の教えとお祈りが自然に溶け込んでいます。
たかのさんが人々に「何を祈ったのか」と尋ねると、みんなが口を揃えて「生きとし生けるものすべての幸せ」「世界平和」と答えたという描写には驚きました。
絵馬に書かれた「絶対合格」を彼らが見たら、ひっくり返ってしまうかもしれません。
記事冒頭に記載した青年カルマが言っていたように、チベット仏教徒は、「すべてはcause&effect(原因と結果)に基づいて起こっている」と捉えています。
これに則って考えると、幸せになりたいなら、いいことをしたほうがいい。なぜなら自分の行いが自分に返ってくると考えるからです。
といっても、「いいこと」は絵に描いたような善行を指し示しているわけではありません。
「いつも笑顔で気持ちよく挨拶する」などで十分! 「その行為が周囲を幸せにしているか?」という観点で考えるのがポイントだと書かれていました。
「世界が平和になれば、きみも自動的に幸せになるよ。
どうして自分ひとりだけ、幸せになろうとするんだい? きみと世界中の人の幸せは繋がっているんだよ」
取り越し苦労が「幸せな生き方」を遠のかせる
最終的に、たかのさんはダライ・ラマ14世本人に20分間の面会の時間をもらうことになります(すげー!)。
「人間にとっていちばん大切なものはなにか?」というたかのさんからの問いに対し、ダライ・ラマは「幸せな人生」だと答え、それを遠ざけるものは「自分でわざわざ作り出す”不要な苦しみ”」だと語りました。
これが指し示すのは病や老いといった不可避の事態ではなく、いわゆる「心のストレス」です。
落ち着いて論理的に考えれば、不要な悩み、苦しみを避けることができると話しつつも、「なにより辛いのは、そうやって対処すればいいとわかっているのに、それでもなお落ち込んだり悩んだりしてしまうこと」だともおっしゃっていました。
読んでいるだけで、「アタマではわかっているのに、できない」というときの辛さに寄り添ってもらえた気分です。
その答えの先は書かれていませんでしたが、「そういうときはがんばってポジティブになれ」とはおっしゃらない気がします。
きっと、悩んでいるとき、辛いときは、その気持ちに浸ってもいいのだと思います。ふと「ああ、自分自身に執着してしまっている」と気付く瞬間が生まれたら、そこでふんばってみたらいい。
「すべては永続しない」という教えを受け入れ、自分の不幸よりも「周囲をちょっぴり幸せにする」に目を向ける余裕が生まれたら、実践する。
そうすることで、ダライ・ラマが人間にとっていちばん大切なものだという「幸せな人生」を手繰り寄せられるのではないでしょうか。
ベストな生き方がわからないからこそ、「今」を豊かにしよう
そんな貴重な面会を体験した著者の締めくくりの文章がとても好きです。
私にもいつか、この世にサヨナラを告げる日が来る。それは、いいことでも悪いことでもなく、事実だ。
でも、その日が来るまで、「病気になったらどうしよう」とか「リストラされて仕事がなくなったらどうしよう」とか、「せっかく付き合ったのに別れが来たらどうしよう」なんてことを考えたり悩んだりしたところで、いったいなんになるだろう。
ゴールが見えない不安さを嘆くよりは、プロセスそのものを楽しんだ方がいいに決まってる。
先の分からない未来を思い悩むより、自分の生きたい未来を心に思い描き、今日を、明日を、楽しく生きたい。
何もかも変わっていくのだから、いつも今やりたいことを存分にやって、今大事にしたい人を腹の底から大事にしたい。
私に、世の中の役に立つことがあるなら、なんだってしたい。そして、どんなときもやっぱり、ささやかな夢や希望を持っていたい。
私はなにかと悩みがちななので、カウンセラーさんのもとで相談することもしばしばです。そこでもやはり「今を生きろ」というアドバイスをもらいます。
家にいるのに会社のことを想って憂鬱になるとか、まだ起こってもいない来週のイベントのことで不安になるとか、 言ってしまったことをいつまでも悔いるとか……それでは「今」という時間が死んでしまう!
いかに「楽しい今」を積み重ねているかが「楽しい毎日」、ひいては「幸せな人生」に繋がります。
それでも悩みは尽きないもの。でも、上記のことがわかっているだけで、少しは引きずらなくなるのではないでしょうか。
書籍の素敵な部分ばかり抜粋しましたが、全体的に明るいトーンながらもチベット自治区の辛い現状も記されており、自分がいかに世間知らずかも思い知らされました。
国内外ともに旅行への関心が薄く、ゆえにこうした旅行記を手にとることはありませんでしたが、読んで本当によかったです。薦めていただきありがとうございました!
そんな話をこうしてブログに書けて、それもまた幸せです。