言いたいことやまやまです

有名人になりたかったけれどなれなかった30代半ばの凡人女による愉快な生存報告

やままあき

Author:やまま (id:yamama48)

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厳しくなければ「いい仕事」はできないのか?楽しく優しくではダメ?

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こんばんは、プロ意識の時間です。

「プロ意識」という言葉を見聞きすると、私のなかには「厳しさ」という言葉が共起します。妥協を許さない。ストイック。「情熱大陸」「プロフェッショナル」を観ていても、普段はおおらかな方なのに、仕事になるとピリッとしてときに怒号を飛ばす、そんなシーンに遭遇することがあります。

仕事は遊びではない。お客様がいらして、お金をいただいている。だから馴れ合いなんていらないし、無駄な仲良しグループがあるような会社はあやしい。お給料は我慢料だなんて話も聞きます。そんなムードを感じます。苦しいからこそいい仕事ができる。

「厳しさ」と「楽しい・やさしい雰囲気」は相反するもののように見えますが、仕事って、楽しく、やさしくやっちゃいけないものなんだろうか。

和気あいあいとやると、どうしたってぬるま湯になってしまうものなのかしら。たるんでしまうのもなのかしら。

「真剣に妥協せずにやること」と、「たのしくやること」が同時に成立する方法はないのだろうか。気持ちよくありがとうが言いあえて、「もっとこだわれる」みたいなポイントを見つけたら楽しく再考できる場。シュンとしないで済む場所。いじけるヒマがあったら、どんどん新しいことを考えたくなるようなところ。

私は甘えたゆとりちゃん(魂だけ。年齢はおばさん)なので、怒号が聞こえるような現場は萎縮してしまいます。たのしくあたたかい雰囲気であれば、いろんなことがうまくいく気がする。アイデアもいろいろ浮かぶし、思いついたものを言ってみることにも怯えない。疑問に思うことがあったら自然に尋ねられる。プライベートで仲がいい必要なんてありません。仕事の場でそれぞれが前向きで、思いやりを持てて、互いの個性を不要だと切り捨てない。「ありがとう」は別の「ありがとう」を生むし、笑顔や明るさは同じ表情を引き出すんじゃないか。

……それはやはり無駄なものであり、「甘えだ」と一蹴されるぬるい意見であり、「できないやつ」の烙印を押されるための証にしかなり得ないのでしょうか。

厳しさの先にハイクオリティなものが生まれる。それはわかります。でもそこにたどり着くまでの道のりを、楽しくすることはできないのだろうか。仕事に限らず、「苦しみの先に善きものがある」みたいなムードがあるのは日本だからなのでしょうか。楽しいばかりだと罪悪感が募る、この雰囲気。

インターネットの波をさまよっていたら、楽しくやるのは結構、ただしそれはプロではなくアマであるから、社員ではなくアルバイトでやっていってくださいとの意見を見つけました。アルバイトだって、クオリティの高い仕事をする人はごまんといるよなあ…

結論なしです。もやもや、ぼんやり、そんなことを思った日でした。

ちなみに私は、自分の心持ちや思考の習慣を変えれば、理想にたどり着ける環境に身を置いています。一緒に働いている人たちや組織の文化を変えるのは不可能ですが、自分との戦いは、やり方次第で勝てる。苦行を欲する癖が染み付いてしまっているのと、注意されることに異常に怯える習性、変えていきたいです。でないと、どんなにあたたかい空間に行っても勝手に誤解して勝手に傷ついてしまう。