言いたいことやまやまです

2022年2月に出産した1985年生まれの主婦です。資料作成が好き。

育児日誌ブログ「母になっても言いたいことやまやまです」を毎週月曜日に更新中!

安定期に入ったけれど反抗期に突入してみたい

妊娠は安定期に!もっと自由に生きていきたい

妊娠5ヶ月=安定期に入りました!

このくらいになるまで妊娠したことを黙っている妊婦さんは、けっこう多いようです。

働く妊婦さんはこの5ヶ月を「いつもどおり」の体で過ごしていたと思うと、ため息がでます。

つわりを筆頭に、疲れやすいとか、ビール飲んじゃいけないとか(!)、大きなものから小さなものまでストレスのタネをたくさん体感したので、彼女たちの精神力を思うと心配にもなります……。

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妊娠を公表せずにいつもどおりに働くことなんてできるんだろうか

もしも私が妊娠期間中も会社員をやっていたならば、おそらく

なんだかいつもプリプリしていたり、

かと思うとやたらしんどそうなため息をついたり、

そうかと思ったらトイレに籠って出てこなくなったり、

Excelのセルがひとつずつズレていたり、

という事態に陥っていたはずです。

 

それはもはや戦力ではないというか、言いにくいんだけどちょっと、その、「邪魔」だったりするんじゃないだろうか。

少なくとも周りはすごーーーーーく、気を遣うはずです。

 

妊娠したときの記事にも書きましたが、変に隠さず気軽に

「妊娠しちまったからちょいと役立たずの時間が増えるかも! メンゴね!」

と言えるような世界だとハッピーだな~と思います。

 

でもそれは、自分のことを正直になんでも話すことに抵抗がない人間(=私)のひとりよがりなのですよね。

もしもこの世に生まれてくれなかったときにどう報告したらいいかとか、不妊治療をすごくがんばっている方の前で同じことが言えるのかとか、妊娠・出産は「気軽に」というキーワードから縁遠いテーマを内包しすぎています。

想像力に欠けている私はどうブログを書いていったらいいのか

この5ヶ月のあいだにオリンピックも開催されました。

小山田氏はさておき、私が中学生のころに尊敬してやまなかった小林氏があのような形で退場することになるのはショックでした。

といっても彼に対してがっかりする気持ちはまったくなくて、自分自身にがっくりきたのです。

私は自分の心のことを考えたり、それをこうして書き出したりするのが好きで、関心もあるのですが、他人の心を想像することはきわめて苦手だからです。

 

例の件を通じて、「発信者」である以上、「他人の心に対する想像力の欠如」は許されない世の中になっているのだなと思いました。

グサリとくるものがありました。眉をひそめながら森(喜朗)さんのことを話せる立場にない気がする。

 

連日のオリンピック前の報道をきっかけに、「”なにかを発信する”ということにもっと慎重になれ」というアドバイスももらいました。

このブログの初期記事から見直していったほうがいいんじゃないか、とも。

その指摘にイラッとしたのは、自分でも多少なりとも「私は他人に対して鈍感なぶん、ふつうのブロガーさんよりも、もっと気をつけて言葉を選ばなければならないんだろうな」と思っているところがあったからかも。

アラフォーママ、反抗期をやってみたい

そんなこともあって、とりわけデリケートな「妊娠・出産」の話題の書き方がいまだにわかりません。

でも私自身が妊活にふみきれず泣きながら悩んでいたとき、見ず知らずの高齢妊婦さんたちのブログ記事に背中を押してもらったのですよね。

身内や知人の言葉より響くものもありました。だから私も、なにか気の利いたことが書けたらいいのですけれど。

 

でも!!!

 

妊娠生活が安定期に入ったというのもあるかもしれません。

なんだか最近、「他人は他人、世間は世間、自分は自分」という思いの面積が増えた気がするので、かねてより思っていたことをここに書いてみようかなと、ブログ管理画面にログインしたのでした。

そう、ここまでは前置きだったのです(笑)。

 

私がこの記事でいちばん書きたかったこと、それは

 

「私は、私の”やりたい”をいちばん大切にして生きたい!」

 

です!

 

妊活雑誌、プレママ雑誌を読んでいると、「これからは赤ちゃんファースト」「赤ちゃんのために」なんて文字がごろんごろんと並んでいます。

私はそれが非常に不愉快でした。

要は「ママなんだからちゃんとしようね」「ママなんだから我慢しようね」ってことだろ!?と。

いつもの被害妄想が入っている気がしなくもないですが、ちょっと先を続けさせてくださいね。

 

「お姉ちゃんなんだから」「小学生なんだから」「学生なんだから」「社会人なんだから」「結婚したんだから」「主婦なんだから」……この構文、最終的にはバアサンになってからの「もうすぐ死ぬんだから」に進化するのではなかろうか。

(日本以外でもこういう言い回しするのかね!?)

 

「責任と義務」に追われて生きる人生なんてもう嫌だ!

「やらねばならないから、やってます」と思いながら事にあたるのは嫌だ! 

それをわざわざポジティブシンキングしながら前向きに取り組むのも嫌だ!

 

もっとシンプルに「こうしたい」という想いを優先して生きたい、と思うのです。

「赤ちゃんのためにヘルシーな食事を取ろう」ではなく、「おいしいからこういうものを食べたい」という考え方にしたい。

 

逆に「やりたくない」は、やらずに過ごしてみたい。

たとえば今月で5ヶ月目だけど、戌の日のお参りというのは気が乗らないのでやらずに過ごしてみるつもりです。

トイレ掃除でもしながら、トイレの神様に「安産で頼みます~」と日々祈りたい。

 

常識知らずとか、世間知らずと指をさされることがあるかもしれないけれど、私は世間のために生きているわけじゃないもんなあ。

そんなことを書いていると「わがまま」「厚かましい」「いい歳して」って言われちゃうのかな……とソワソワしている自分もいます。

まさにいま、脳内ではもうひとりの私がまさしくそのセリフをギャーギャー叫んでいるんですよ(笑)。

 

でもね、この価値観で自分を律して、そんでもって自分が不機嫌になるという、負の自家発電の人生を送っているから、アラフォーだけど反抗期をやってみたいのです。

 

油断するとすぐに「妖怪べきねば」が

「あんたもう若くないんだから! 世間体を気にしなさい! いい歳して失言して失敗するなんて目も当てられない!」

とビンタしてくるので、逆にこっちが往復ビンタするくらいの気概で臨みたい。

 

……と、ここで話が横にそれますが、この数ヶ月で我が家のキャッシュフロー表をちまちま作っていたんです(がんばったんだよ!)。

あれをつくると「人生ってほんとちょっとの間なんだな」と実感します。

やらかすことはあるかもしれないけれど、それもまた人生の醍醐味のような。楽天的すぎるかな。

あれっぽっちの人生を「がまん」「こうあるべき」「いい大人なんだから」と縛り付けて、歯ぎしりしながら死ぬほうが寂しいことだなと思ってしまいました。

 

子どもに「まったく仕方ないなあ」と呆れられるくらいの親でありたい。

そう思う妊娠5ヶ月の週末です。

 

 

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