もともと子どもが苦手で、出産するかどうかを長きにわたって悩んでいた者です。37歳になる直前のお産でしたので、高齢出産の扱いになります。
出産をためらってしまった理由は数多ありますが、そのうちのひとつが「自分の時間がなくなる(奪われる)から」でした。
そんな私も、子どもと暮らしはじめて5か月以上が経ちます。
妊活前も妊娠中もずっと不安だったけれど、結果、1日だって1時間だって1分だって、なんなら1秒だって「産まなければよかった」と思ったことはありません。
「ああうるさいなあ」とか、「もういいかげんにしてくれよ」とかはしょっちゅう思うし、うんざりすることはいっぱいあるのに、不思議です。「かわいい」のはもちろんですが、それじゃ表現しきれない。言語化できない愛おしさがあります。
そう言いつつも、自分の時間がなくなるのは確かです。
当初は「平日はとにかく我が身を犠牲にして、家事育児に邁進! 土日祝に少々のお暇をいただく」というスタイルになりがちでしたが、ここへきて「子どもも自分も楽しい、一石二鳥タイム」をいかに作れるかがカギだと思うようになってきました。
私のめんどくさがりでわがままな性格の影響か、「子どものためだけに費やす時間」では自分のモチベーションが上がりにくいことに気づいてしまったからです。
たとえば無目的の散歩は嫌いなので、スーパーへの買い出しを「散歩」と称して出かけますし、児童館では子どもをあやしつつも、私が読みたいマンガを読みます。寝かしつけのタイミングではうっすらとラジオをかけるし、幼児番組は私も観たくなるものしか一緒に観ません。逆に毎回録画している「ザ・ノンフィクション」は強制的に一緒に観せてしまいます。
(決まって、「世の中、いろんなひとがいるのよ」「いろんな生き方があっていいのよ」と語りかけてしまう)
幼児番組といえばEテレです。
私の幼少期にはなかった「いないいないばあっ!」「みいつけた!」は新鮮な気持ちで楽しんでいます。
ワンワンの中の人には「たんけんぼくのまち」を観ていただけに感激ひとしお。私はかつて着ぐるみを出動させる会社で働いていたこともあるので、雨のなか元気に撮影しているワンワンや、落ち葉まみれの地べたでごろごろするワンワンを見ては、涙が出そうになります。
「みいつけた!」を観ているうちに、椅子のコッシー役を務めるサバンナ高橋の相方は、八木さんではなくサボさんなのだと思うようになってしまいました。
そんなコッシー、番組内楽曲の作詞もがんばっていらっしゃるのですね。「きみにあげるね」という曲が沁みて沁みて……おばさんママほろり。サビの歌詞が「おもしろかったら 笑ってあげるね / もしもつまらなかったら おどけてあげるね」ですよ。
「つまらなかったら、おどけてあげる」!
芸人さんならではの発想ですばらしいと思うんです。我が子には、おともだちとコミュニケーションをとるときにこんな気持ちでいてほしい。つまらないものを切り捨てるのはバカでもアホでもできるんだ。そんな大人が多いんだ。私だってそうなんだ。それをおもしろくできるのが優れた人だよね! ああコッシー、いや茂雄、ありがとう!!!
それにしてもなぜ「椅子」の話をつくろうと思ったのか、その相方がなぜサボテンなのか……椅子とサボテン、ミシンとこうもり傘、かわいい顔したシュルレアリスムの世界なのかもしれません。
Eテレの王道幼児番組は「おかあさんといっしょ」でしょうが、私は共感性羞恥の民なので不得手な部類に入ります。うたのおにいさん、おねえさんたちを見ていると照れくさくなって心が苦しくなるのです。恋かもしれません。
しかし現在の「うたのおにいさん」であるゆういちろうさんはプロすぎて、こちらが照れるスキマがまったくないのです。もともと劇団四季を目指されていたそう。日常会話にしては抑揚がありすぎる独特の「うたのおにいさん・おねえさん発音」も、ゆういちろうさんがやるとライオンキング感が漂ってきて清々しい!
一方で「体操のおにいさん」である誠さんは超自然派。過剰に「おにいさん」をやらないので、「近所の保育園の保育士さん」のように思っています。つい「いつもお世話になってます~」と声をかけたくなる。それでいてもともとは順天堂で体操のコーチをやっていたっていうんだから、いいよねえ。
ふたりを観ているとなぜか平成仮面ライダーに想いを馳せてしまって、うたのおにいさんがメインライダー、体操のおにいさんが2番手ライダーという作品があってもいいんじゃないかという気がしてきます。
Eテレを流しっぱなしにしていると、いずれも工夫が凝らされているし、大人もニヤニヤさせてくれる演出が多々あって感心してしまいます。
受信料は確かに高いけれど、ぶっ壊すのは勘弁してほしいと思う、参院選後の夏です。