妊娠して23週と5日目。まもなく7か月です。
これまで無縁だった「お腹の膨らみ」は、6か月目後半から日に日に体感できるようになってきました。
日増しにお腹の張り由来のだるさを感じています。立ち続けられない……不便です。
しかし一方で、5~6か月目にはボロボロだったメンタルが一気に回復!!!
身体はつらいものの、かなり過ごしやすい毎日になりました。
その境地に至ったのがここ1週間くらいのことというのが恐ろしい。
かくも妊婦の精神状況はアップダウンするとは……周りにいる人はたまったもんじゃないですね。
(だから妊婦さん、変だと自覚したらすぐ心療内科やカウンセリングルームに駆け込みましょう!)
私にとっての「メンタル回復のカギ」は、
- 飽きるまで悩み尽くす
- 誰かに付き合ってもらって、ぐちゃぐちゃになっている気持ちを順不同でいいので口に出す(整理してもらえるとなおよし)
だったのかなあと思います。
「やりたいことがなにもない自分」が受け入れられなかった
いま思えば、気持ちが落ちていたときに苦しかったのは、「やりたいことがない、無気力な自分に向き合うこと」だった気がします。
気づいたきっかけは、先週お世話になったカウンセリングルームでのやりとりです。
訪問時は自分のことを「呼吸している肉塊」としか思えないくらい落ち込んでいました。
1週間が経ってケロリとしたいまなら「なにを大げさな」とつっこみたいけれど、そのときは本当にそう思っていたんですよ! 恐ろしいことに!
そんな私のことでも家族は大事にしてくれていたのに、それではどうも満足できなかったのです。
「社会から必要とされていない、なにも役に立てない、出産に向けた努力もしていないダメ人間」というのが自己評価でした。
生きていることがとても虚しく、もはや泣く気力もないくらい。
カウンセリングの素晴らしいところは、どんなにネガティブな話でも、脈絡がなくても、不謹慎なことでも自己中心的なことでも、とにかくなんでも話してよいところです。
カウンセラーさんの合いの手を活用させてもらいながら、自分でもよくわからなくなっていた陰鬱な気持ちを、思いつくままに口にしていきました。
声に出すことで見えてきた私の信念のひとつが
「生きることは、がまんすること」。
もともと「働かざるもの食うべからず」「お給料はがまん料」なんて思っている人間なので、そうした信念を持っていることにはなるほど納得です。
「稼いでいないのに生活させてもらっているんだから、自分のためにお金を使わないようにしなければ」とか、「いわゆる”稼ぐ仕事”をしていないぶん、家のことはもっともっとがんばらなければ」といった罪悪感をいつも抱えています。
ただ「昔からこれほどまでに強く、生きる=がまん、と思っていましたか?」と問われてハタと気づきました。……思っていなかったぞ!
振り返ってみれば、下記の3ステップを経て「専業主婦の妊婦」になってから、一気に「生きる=がまん」の図がゆるぎないものにしていたことに気づきました。
- 3度の転職を得てフリーランスになったとき
- 新たに興味を持った世界に足を踏み入れたものの、挫折してしまったとき
- 「昼スナックママ」の継続に挫折したとき
ちなみに、まさに2.のタイミングで書いたブログ記事が下記のものです。
上の記事のなかでも書いていますが、私は物心ついたころから「やりたいこと・なりたいもの」があって、早くおとなになりたかったくらいです。
当然ながら、そのときは「生きる=がまん」なんて図式は意識していませんでした。
(とはいえ「やりたくないことでもそれが自分のツトメならば、やらねばならぬ」という意識はしっかり持っていました。勉強をがんばれたのはその信念ゆえ!)
ところがいざおとなになってみると、「やりたいこと・なりたいもの」であったはずの仕事がしっくりこない。
達成感もやりがいもなく、「お給料はがまん料」と自分に言い聞かせながら過ごすのでせいいっぱいになりました。
そのたびに「それなら、次はこれをやってみたい!」と新たなターゲットを見つけては、チャレンジしてきました。
異動、転職、フリーランス化。
「会社員」という働き方から解放されて以後も、やりたいことをなんとか見つけてはチャレンジしてきましたがどれもこれもうまくいかず……というのが、前述の箇条書き「1.2.3」の話です。
「こんなはずじゃなかった」というがっかり感と、諦めの気持ちが重なっていき、
「みんなだってやりたいことをやっているわけじゃない。生きるためにがまんしてやっているんだ。だから私もがまんしよう」
と自分に言い聞かせるようになっていきました。
稼ぎたいなら、がまんをして働くべし。
稼げないなら、がまんして出費を抑えるべし。そして稼ぎ手に尽くすべし。
いまは、やりたいことがない自分がベストだと思えた
カウンセリングルームで過去の仕事の思い出話や悔しい想い、身の程知らずな自分を恥じる気持ちなどを声に出していくうちに、
「私はやりたい仕事、ライフワークがない状態になると、生きる楽しみや生きがいを感じられなくなる」
ことに気づきました。誰でもそうかもしれないけど(^_^;)
昨年の「やりたいこと」がなくなってしまったという記事を読み返して、当時もほんと辛かったなあとシミジミ。
このときは「昼スナックママ」に興味を持ったことで立て直したのだっけ。
しかしそのチャレンジにも挫折してしまったいま、さらには妊娠しており自由な時間の猶予が少ないいま、次なる「やりたいこと」を探すのは厳しいところです。
余暇として謳歌しようにも、稼いでいないので自由に使えるお金もありません。
ひどく気持ちがふさいでしまったのは、そんな焦りや不安と妊娠5~6か月目のホルモンバランス問題があいまっていたからなんだなあ、とわかったら、力が抜けました。
この悩みに飽きたというか、疲れたというか。
それは家族や親身にしてくださっている方々からの「悪びれずに休んでいればいいんだよ」という言葉がやっと心に届いた瞬間でもありました。
それまでは、彼らの言葉を「気を遣って言ってくれているだけで、本心では”多くの妊婦は会社勤めを続けているんだし、おまえもがんばれよ”と思っているに違いない」と誤訳して認識していました……。
今日時点では、
「いまは、”やりたいことがない自分”が必要なときなんだ!」
心の底からそう思えています。
だって、年明けには出産です。
いま「やりたいこと」を見つけても、子どもが生まれたらしばらくはそちらに専念せざるをえません。
私は器用にマルチタスクをこなせるタイプではなく、どちらかといえばのめり込み型。
いま「全力でやりたいこと」ができてしまったら、「やりたいこと」と「育児」を天秤にかけてウジウジしたり、「やりたいことができないのは君(子ども)のせいだ!」とわが子を責めている自分に罪悪感を抱いたりするに違いない!
余白をあけておかなければ、新たなタスクは満足にこなせません。
やりたいことがないいまの状態は、まさに「余白」ではありませんか!
これなら出産、育児にのめり込めそうです。
出産は不安でいっぱいだし、子ども中心の生活なんていまは全然楽しみじゃないけれど(自分中心で生きてきたからね~)、いざ産まれて、育児が明確にタスク化されてしまったら、意外と燃えるのかもしれない。
そんなふうに楽天的に構えられるようになりました。
たった1週間くらいで、すさまじい心境の変化です。
余白タイムのいまは、悪びれることなく図書館で本を借り、散歩をし、しんどくなったら眠り、たまにイラストロジックをして、それからFP2級の勉強をして、気まぐれに掃除炊事をして過ごしています。
楽しい、おもしろい、というのとは違うけれど、とても淡々としていて落ち着く日々です。幸せだなあとしみじみ感じます。
もっと早く、この境地にたどり着いていたかった!
でもきっと、思いきりウジウジして葛藤したからこそ、贅沢な時間を気持ちよく享受できているんだと思います。
今朝も、起きたはいいけれどだるすぎて10時ごろまで二度寝。
時間がもったいない! とか、あれをやらなきゃいけなかったのに! などと自分を責めないのが「やるべきこと」だ、くらいに捉えてゆったり過ごしました。
幼いころから自分が望んできた未来は描けなかったのは残念だけど、もっと現実的な幸せを手に入れたんだと思って、引き続き余白時間をゆったり過ごします。
年内に1回くらいは国内旅行に行っておきたいけれど、間に合うかな~~