動きたくてたまらない(でもまだ歩けない)1歳児を相手に、都内の狭小住宅での自宅保育には限界があります。
それで児童館だったり、子ども家庭支援センター(3歳までを対象にした児童館だと思ってください)だったり、そうした公共施設に連れていく日々です。
Twitterを見ていると「私はコミュ障だから他のお母さんと会話とかできないし無理」「化粧や着替えが面倒くさくて無理」といったコメントを拝見します。
共感が集まりやすい本音だと思います。
私も「無理」と思ってしまう日があるのですが、これが実に、人でなしというか、共感を集めにくそう、眉をひそめられそうな本音です。
それは……「使用ルールを守るのがめんどくさい」。
コロナ禍の残り香がふんだんに残る今、自治体によって運営ルールも様々でしょうが、私がよくお世話になる支援センターは予約なしで訪問できるようになりました。人数制限はありますけれどね。
コロナ禍以前からあったルールだろうとは推測されるものの、施設を利用するにあたり、下記のようなことを守らねばなりません。
- 入館時の入館カード提出(これだけのために、子どもを抱っこしながら財布を出すのがもう面倒)
- 検温(外気にさらされまくった額で検温してもしょうがなくないか?)
- 最近の体調チェック(口頭でいくらでも嘘つけてしまうのでは?)
- 入館前の、口頭での手洗い誘導(もうわかってるからいちいち言われるの煩わしい)
- 入館したらスマホ禁止
- 子どもがそれほど動かない時期であっても持参した本を読むの禁止
- 貴重品がなかったとしてもベビーカーに荷物を置いておくの禁止(たたまなくていいだけありがたいが)
……などなど、です。
これが本当にうっとうしくなってしまう日が、ある。
不特定多数、しかも自治体運営の施設ですから利用者はそれぞれに「♪育ってきた環境が違うから~」なわけで、小学校で「遠足のおやつは300円まで」を明言するがごとく、いちいちルール化しなければならない事情はわかります。
職員さんたちもいろんな仕事があるのですから、ひとりひとりの利用者に合わせて臨機応変に対応するのも大変でしょう。
「ルールなので」で説明がつけば、かなり省エネできます。
自分の気持ちに「すごく」余裕があるときは、モヤっとするルールであっても気持ちよく従えるのですが、疲れているとすべてが煩わしく感じてしまいます。
行きたくないけれど子どもを動かすために致し方なし……で訪問することもしばしば。
なるべく、職員さんになった気分で「仕方ない、仕方ない」と自分に言い聞かせながら過ごすものの、「クッソーーーーー!メンドクセーーーー!それ意味あるんかいなー!?!?!?」と叫びたくなるのを必死の形相でこらえること多々です。
支援センターの名の通り、我々育児する者たちを支援するためにある場所ですから、基本的に職員さんたちはやさしく接してくれます。
私が「は? それ意味ある?」みたいな顔をしていようと、職員さんたちはいつだってやさしい(私には彼らの仕事は務まらんです。すごいと思う)。
ママ同士のコミュニケーションが云々などという意見をTwitterで見かけると書きましたが、それはたかが知れています。
なかには、やたらと母ちゃん同士を友だち化させようと、自己紹介を勧めてくる施設もありますが、プライバシー大事大事時代ですから、基本的には名乗らず、ああどうもくらいの挨拶をする一期一会の間柄です。
あの母ちゃん面倒くさそうだなと思っても、双方もしくはどちらかが保育園などに入園すれば支援センターの世話になる機会はほぼなくなるわけで、仲はそれきり。
つまるところ、支援センターでのルールなりコミュニケーションなんてものは「超イージーモード」だということです。
これから先、幼稚園やら小学校やらとコマが進んでいけば、子ども会、PTAなど、さまざまな「協調性の傘のもと互いを監視し合う場」に巻き込まれていきます。
それだというのに、このイージーモードのなかで「ルール守るのめんどくせー」とか言っているアラフォーはやばい、実にやばい。どこの反抗期男子だよ!
なんでこんなに不快になってしまうんだろう。
なんでこんなにクソな性格なんだろう!
なんとかして、「郷に入っては郷に従うスキル」を磨く必要があります。
大人だもの、母だもの。
私のせいで子どもになにか被害がおよぶなんて、あってはいけない!
今日も、子どもを遊ばせたいけれど入館手続きを想像するだけでもう疲れてしまう……なんてダメな母なのだ……。
ひとまず、よろしく哀愁でも聴いて気分転換してきます……(郷GO!)