言いたいことやまやまです

2022年2月に出産した1985年生まれの主婦です。資料作成が好き。

育児日誌ブログ「母になっても言いたいことやまやまです」を毎週月曜日に更新中!

子どもが1歳になったタイミングで心身が滅んだけれど「書く」ことで復活したのでこれからも日記書こうっと

久々の更新です。

娘は2月8日に1歳を迎えました。

母子ともに健康で、1年間、心配事といえば親に似て便秘体質であることくらい。

離乳食もアレルギー知らずでここまできています。

本当は誕生日当日に感動的な記事のひとつやふたつでも書いて、そこにウィッシュリストをベタベタと貼って、実はクレクレ記事だった! という感じにしたかったのですが、全然余裕がありませんでした。

 

子どもの体重は10キロ手前、本当に心配無用と言わんばかりの成長のため、好奇心爆発中でよく動きます。

彼女なりの処世術なのか、足よりも手を優先させて発達させており、スーパーのおばちゃんやら、バスで会ったおばあちゃんやら、エレベーターで乗り合わせたお姉ちゃんやら、先日は食堂で隣り合わせたコワモテのおじさんにまで、手を振って愛想をふりまいています。

足の方は1歳手前でやっとハイハイもどき、いまはつかまり立ちができるようになりました。

 

これが何を意味するかというと

  • 重いから抱っこで気軽に動けない
  • バウンサーやベビーサークルを嫌がる
  • 自宅や児童館で放牧(注)したら最後、目が離せない

です。

 

(注)と書きましたのは、私は娘が大好きで大切で人として素晴らしいと考えているため、決して馬や牛のような存在だとは思っていないことを明記しておかないと、どこかからお叱りを受けるのではないかと思ってのことです。

草原でハイジとユキちゃんが楽しそうにしている様子をイメージして、自由に楽しく動き回る様子を「放牧」と自分の中では表現しているのですが、こういうのも迂闊に口にしたり、書いたり、できない時代だと聞きましたよ! ああ~、やらかしそうだ……

 

それはさておき、そんなこんなの理由で私の限りある体力が毎日エンプティに振り切れるようになってしまい、PCを開くだとか、スマホで日記を打ち込むとか、できなくなってしまったのです。

 

疲労はどんどん蓄積し、アラフォーで第一子母となった私の心身を蝕みました。

産後から1年も経っているにもかかわらず、世間に取り残された不安でいっぱいになったり、先々の予定を早く立てなきゃ(子ども関連のことは何かと予約が必要)と焦ったり、家事ができないことがもどかしくて自分を殴りたくなったり、涙が止まらなかったり、しまいには「会話ができない」状態になりました。

これは都合のいい悩みでして、自分が楽しみにしている「友人との会食」では喋れるのです。

しかし家族だったり、児童館で会う先生やお母さんだったり、子どもに声をかけてくれる街中の人々だったり、そうした方々に応答ができなくなりました。

そうはいっても役所だとか病院だとか、外出の予定は入ります。それで精一杯でした。

 

しんどいときでも、面倒くさくても、こんにちはと言われれば挨拶を返すのが大人ではありませんか。母ではありませんか。母の振る舞いによって子が被害を受ける可能性だってあるわけですし。

なのに、簡単な会話がひどく億劫。

「ああ、はあ」といった返答で精一杯で、その場を去りながら「ああ情けない、大人なのに、母なのに」と自責するのですが、そんな自責で自分がよい人間になるのなら警察も癒やし商売もいりません。

 

ハウスダストって私のことなんじゃないかと思いながら、うじうじ過ごす毎日はマジで不毛です。

この状態が、めでたい「子の1歳の誕生日」とほぼ同時に訪れたことを、このあともずっと後悔するんだろうなあと思います。

 

一刻も早く脱出したくて、家庭支援センターの先生に面談を申し込んでみました。

しかしだめなのです、そういうところでは「ええかっこしい」なので、本当の悩みが話せない。相談事が思い浮かばず、その時間を終えてしまいました。

 

ただそのとき、支援センターの先生が「いつでもメールしてくれていいんですよ、愚痴を送ってくれていいんですよ、返事はいらないから吐き出したいだけというときにも使ってください」と言ってくれたのを思い出して、辛いときにその気持ちを書き溜めて、メールを送ってみたのでした。昨日のことです。

 

たまたまその日は心理士さんがお休みで、保育士の先生が返信をくれました。

おそらく私より少し歳上の方で、ご自身の経験を交えながら真面目であたたかく、それでいて軽妙な文章で返してくれて。

以前から、辛くなるとたまにメールでの相談自体はしていたのですが、いつも返信をくれるのは心理士さんでした。

私がやたら心関連の本を読み漁っていたり、カウンセリングを長らく受けていたりする影響もあって、その返信がいまいち刺さらなかったのです。

読むとつい「ああ、カウンセリング文法だ……」と思ってしまう。

 

でも保育士さんのメールで、一気に光が見えた気がしました。

まず、さらに返信を打ちたくなりました。

先方にさらなる返信を書かせてしまうな、負担をかけてしまうかもしれないなと思いつつ、先生と同じテンションで気軽に文章を書いているうちに、自分の悩みも軽くなる感覚がありました。

 

それで気づいたのです。

私はたぶん、書かないとだめだなと。

夫と喋れなくなったときも、LINEでならやりとりができました。

メールでのやりとりに苦はないのです。

書き言葉ならではの「ひと呼吸おける感じ」が、私のコミュニケーションのリズムなのかなあと思いました。

 

この文章も、推敲ゼロで、喋るように書いています。

だから北の国からの純のモノローグよろしく、同じ語尾が続いているかもしれないわけで。

 

今日もこれを書いたらちょっと元気になった気がします。

「文字ラジオ」気分で、近況報告を続けてみようかと思います。

 

今日はこのあと、一時保育(保育園に一時的に預けるサービス)の予約があり、これがもうラーメンズのライブチケットを予約するときと同じ緊張感を要するので、すでに緊張しています。

同時に、毎日保育園に預けるならまだしも、親の仕事の都合でたまに預けるなんて、子どもにひどいことをしているんじゃないかという不安、ソワソワが襲ってきています。