「自己肯定感なんてものを身につけることはあきらめたぞ! めんどうくさい自分でいいんだい!」といった内容の記事を書きました。
知人に「自己肯定感のない自分でOK」ということなんだから、それもまた自己肯定感なのでは? と指摘をもらいました。
「たしかになあ」と思いつつもやっぱりどこか「自己肯定感」というやつに違和感があり、うんうんうなっていたところです。
どうにも「自己肯定感」にはポジティブな香りがします。
- ありのままの自分が好き!
- 「なにができるか」ではなく、存在することに価値がある!
- 失敗したり、だめなところがあったりする自分でもOK!
というかんじです。私の鼻が曲がっているだけかもしれませんが。
なにかと自己否定しがち私は、そんな自分を変えよう、大人になろう、という想いで各種書籍、カウンセリング、イベントなどで自己肯定感情報に触れて軌道修正しようとしました。
でもどこかのポイントで
- 「こうあるべき」という自分像があって、常に落第点を食らっている感覚
- 存在するだけではただの穀潰し、働かざる者は食うべからず
- 失敗はやっぱだめっしょ
という自分に戻ってきてしまうのです。それでまたがっかりしたり、罪悪感を持ったり、うじうじしたりする。
私がアラフォーにして手放そうとしているのは、「己の自己否定っぷりが辛くて、自己肯定感を持つために足掻いてみること」です。
「本当は変わりたいけれど、無理だから諦めた」という開き直りであって、全然、肯定できる自己などないのです。
この話を聞かされているみなさんは「いや、それが自己肯定ってやつなのでは……? 令和の禅問答……」という気持ちになっているかもしれませんが!
言うなれば「自己”妥協”感」です。
仕方ないじゃん、というやつです。
やりたくない仕事だろうと、意味がないなと思っている仕事だろうと、上からの命令でやれと言われればやらざるを得ない。「仕方ないじゃん、仕事なんだから」。
このときの気持ちに近い気がします。「仕方ないじゃん、そういうふうにできているんだから」とでも言いましょうか。
「仕方ない」で済ます、流す、抗わない。
初めたばかりの試みなのでうまくいくかわかりませんが、悩める時期に自己啓発本を読み、「また同じようなこと書いてある……やってみたけど変わらなかったよ……」と悲しくならずに済むだけでも、気が楽です。いまのところ。