こんばんは、脱・べきねばの時間です。
とかく「こうあるべき」「こうせねば」という思考にとらわれがちな性質なのですが、30年かけて練り上げてきた「べきねば思考」を手放すことをライフワークのひとつとしすることにしました。
気を遣うのは「気を遣いたい」ときだけ。「空気読めない」と言われることを恐れない。それによって人脈が減ることも厭わない。
「好きなことをする」というのは響きこそ能天気ですが、実際には非常に勇気のいることで、日々訓練、訓練です。「本当に気が利かない!」と言われたら、言ってる奴の顔を見るがいい。溜息ついて、眉間にシワ寄せて、ブスだから!
とりあえず、最近はしょっちゅうテレビの中でお目にかかれるので長嶋一茂さんのことを見つめるという鍛錬を積んでいるのですが、先日ふらりと事前情報無しで入店した洋食店に「生きるヒント」が詰まっていました。
おもてなしとは何かを再考したくなる接客
ランチタイムとあり、定食屋さんらしくA・B・C定食がありつつ、「とろとろ玉子のオムライス(エビフライ付き)」とか「チーズカツカレー」とか、「厚切ひれかつ定食」とか、メニュー豊富です。いかにも町の定食屋さんという印象で、屋号には大正時代に創業した旨が添えられていました。
入店するやいなやオバチャンがこちらに駆け寄ってきて、いらっしゃいませより先にこう言うのです。
「すみません、ごはんがないんです」
強烈な先制パンチをまともに食らってしまい、カウンターの仕方がわかりません。ただ呆然としてしまっていると、すかさず
「今日は団体さんが入ってしまって、その、ごはんがなくなっちゃって」
その間にだんだんと平常心を取り戻してきた私は、かつて糖質制限に励んでいた身。ごはんなしなど慣れっこです。おかずだけでよいと伝えると、中に通してくれました。
定食ABCのいずれかから選ぶつもりでいたのですが、席にあるメニューを見ると、今日のおすすめとしてエビフライと生姜焼きの盛り合わせが。同行者は豊富なメニューのなかからひとつ選び抜くのに迷っている様子でしたので、こういうときはすぐオーダーをしてしまうに限ります。迷いを断ち切るコツは「締切をつくること」です。
すると厨房から現れたのは、先程とは違う、かなり貫禄のあるオバチャンでした。私が希望のメニューを伝えるなかまだ迷っている様子の同行者。そこにまた強烈なパンチが打ち込まれます。
「とんかつがいいよ、とんかつにしなよ」
貫禄オバチャンの有無を言わせない強気な発言に同行者は面食らった様子。「ハ、ハイ、じゃあそれで……」と返すことしかできませんでした。
ここえ改めてメニュー一覧を思い出してみます。洋食屋さんといってもフライを中心にした展開でした。特にとんかつを使ったものが多く、とんかつ定食はこのお店における王道チョイスであると思われます。基本を押さえるのは大事なことです。
一段落してお冷に口をつけたところで、ごはんないですオバチャン、略してごはんオバチャンが再来されました。ごはんがないのはわかっている、はてどうした。
「エビフライと生姜焼きは、ごめんなさい、
今日のメニューではないんです」
どうも前日のおすすめメニューの紙が残されたままになっていたようです。時刻はすでに13時をまわっており、ランチタイム中にこれまで誰からもエビフライ&生姜焼きのオーダーが入らなかったのだろうかなどと思いましたが、とりあえず代打を選ばねばなりません。
えっ、じゃあどうしよう、なんて呟いていると
「今日できるのは、このA定食とカレーで……」
あんなにたくさん料理名が列記されていたのに、選択肢はA定食とカレーのみ!先ほどあんなに強くプッシュされた「とんかつ定食」という選択肢も提示されませんでした。貫禄オバチャンは幻だったのか?とんかつはどこへ消えた?
カレー気分でもカレー曜日でもなかったので、A定食(エビフライ・鶏のから揚げ・ハンバーグの盛り合わせ、950円となかなかお得)にしました。
A定食、到着。ザ・定食です。
ところで、お気づきでしょうか。
ごはんがあります。
冒頭のあの問答は、入店資格の有無を確認するためだったのかもしれぬ……海といえば山と答えねば入れぬ詰め所のように、「ごはんないです」には「無くていいです」で答えねばならない、そういうことか……。
フライが得意なお店だと思っていたのですが、かなりのこんがり揚げ。左がA定食、右がとんかつです。エビフライと唐揚げに至っては、なにか別の生き物のようにすら見えてきます。
ハンバーグがふんわりしていてとてもおいしかったです。
被害(?)者、続々
近くの席にいらしていた男性2人組のお客様も、お店の強烈な個性に面食らっていました。おひとりが頼まれたのは定食、もうお一方はチーズカツカレーをお願いしていたのですが、カレーがちっとも出てこない。
定食を持ってきたのは貫禄オバチャンでした。
「あんたも定食を頼めばよかったのよ、チーズカツカレーなんて面倒くさいの頼むから」
意訳しますと「待たせてゴメンね」となります。彼らのことは気にかけているようで、お冷のおかわりを足したりと、貫禄オバチャンは何かと彼らのもとにやってくるのです。しかし口からは「あれつくるの面倒くさいんだよ」「手がかかるんだよ」……。
しかし男性は苛立つでもなく苦笑いをしながら「そうだったんだ、それを知らなかったからなあ」と流します。
この紳士な対応が貫禄オバチャンのお気に召したようで、何かと彼らの卓の側に行き「お盆は店の改修があるのよ」「お店もお盆休みだけど、私は遊びで忙しいの」とやたら話しかけるのです。それを「うるせえな」でもなく「そうですか、そうですか」と笑いながら受け流すミスター……その姿は紳士そのもので、ちょっと恋をしそうになりました。
そうこうしているうちに、次のお客様が来店。例のごとくごはんオバチャンが「ごはんないです」で入店チェックをするのかと思いきや
「今日はもう、カレーライスとビールしかないんですけれど」
A定食もなくなったのか!
そして、ごはんはあるのか……!
さらにニューフェイス「ビール」の存在にお気づきでしょうか。ここから貫禄オバチャンのビール売りが始まるのです。
「生ビール200円だから。飲まない?」
ほうぼうにそう話しかけていく。「ビールは苦手なんで」とやんわり断られてもめげない。翌日からお盆で改修工事というタイミングですから、生ビールを捌いてしまいたかったのでしょう。
さらにお客様が来店、「もう今日は全部品切れで……」という最強の言葉を放つごはんオバチャン。もはや食べものがなくなってしまったとは……オイルショック時代のトイレットペーパーじゃあるまいし、こんなことがあるなんて……。
そうですか、と諦めて帰っていくお客様をお辞儀しながら見送るごはんオバチャンに、ビール売りの熟女と化している貫禄オバチャンが激を飛ばしました。
「あんた!ビールだけ売ればいいでしょう!!」
客席は大爆笑です。
私は店内参加型の新喜劇でも観に来たんでしょうか。フラッシュモブ的なアレでしょうか。みんなが私を笑わせるために仕組んでいたんでしょうか。混沌とはこういう空間のことを指すに違いありません。
「チーズカツカレー、おまたせね!」
よかった、あの素敵な男性はチーズカツカレーにありつくことができました。それにしても、カレーライスはすぐできるのにチーズカツカレーは5倍以上の時間がかかっているのはなぜなんだろうか……。
苦笑いと安堵の表情を浮かべながらカレーを食べ始めるミスター。同行者さんの定食はすでに完食済で、なんとも気の毒な光景となっていました。
活きるも死ぬも、相性次第
おもてなし大国ニッポンにおいて、こんなお店が存在しているのです。
俺は気分が悪いから帰る!などと大きな声をあげて退店してしまうお客さんがいたって不思議ではありません。
しかしこの日は怒るどころか笑いが起きた。知らない者同士がオバチャンに大笑いし、チーズカツカレーに同情し、殺伐とするどころか一体感が生まれたくらいです。
オバチャンズの「普通ありえない」振る舞いはエンターテインメント化してしまいました。
食べログでさぞやひどい感想が書かれているのだろう(そして、オバチャンはきっとそれを閲覧しないからマイ・スタイルを変えないだろう)と思って見てみれば、あろうことか「店内大爆笑!」などのレビューが。おそらく、あのスタイルが名物化しているのでしょうね。
空気を読まずに罵られることもあるでしょうが、こうして受け入れられることだってある。拡大解釈かもしれませんが、「他人の顔色を伺いながら他人主導の人生を生きるな、自分の人生を生きろ」という教訓を得た気がします。
改修後、怖いもの見たさで再訪希望。チーズカツカレーを敢えてお願いしてみようかしらと……。