ワイドショーを賑わす炎上系事件の感想に使われがちな、「想像力が足りていない」という評価。
日常的によく聞く言葉です。
妊娠・出産・子育て関連は「想像力」が特に求められる
「想像力が足りない!」とたしなめられたときって、反省する前にキョトンとしてしまうこと、ありませんか?
確信犯的にしでかしたことや、なんらかの罪悪感を持ちながらやったことなら、反省モードに移行できます。
だけど悪気なく言ったりやったりしたことに対してこの言葉をもらってしまうと……
- OKだと思っていたことがNGなことだと知って、戸惑う
- 自分は「想像力が足りていない」無知な人間だと知って、残念・悔しい・自己嫌悪
- 反省スタート(行程2も並走)
という流れになります、私の場合。
妊娠・出産・子育て関連って、この「想像力が足りていない!」を相手に言いたくなったり、言われたりと、なにかと問題が起こりやすいカテゴリかもなあと感じている今日このごろです。
未遂で終わっていますが、授乳ポンチョがあれば授乳室じゃなくても授乳していいと思っていたもんなあ。
ちなみにマジョリティの意見は”目のやりどころに困るからNG”だそうで……(出典はヤフー知恵袋)。
ポンチョしてれば見えないじゃん、などと思ってしまっていた私は、「想像力が足りていない」と眉をひそめられる対象ですね……。
授乳の問題はあくまで一例で、
ベビーカーをたたむ OR たたまないとか、
不妊治療中の方がいらっしゃる可能性がある婦人科に子どもを連れて行くことの是非とか、
「自分が知らなかっただけで、実はデリケートなテーマ」って、いっぱいあります。
子を産んで、己の「想像力皆無っぷり」を自覚した
ゆる妊活~出産の行程を経たいま、私は自分が「想像力皆無人間」なのだと感じています。
その立場になってみないと、なんにもわからない人間だった!
想像力、持ち合わせていなかった!!
無自覚なままに想像力が欠如した言動をとって、いろんな人を傷つけて生きてきてしまったんだなあと、悔しい気持ちです。
たとえば、何らかの手続き等で会社にお子さんを連れてくる社員さんに対して、あまりいい印象を持っていなかったこと。
会ったら最後、「かわいい」と言わなきゃいけないような、強制されているような気がして、お子さん連れの方には自ら近寄ることは避けていました。
Web上で「職場に子どもを連れてくるなんて非常識」という意見を見かけると、わかるわかる、なんて思っていたんです。
でもコロナ禍のなか子どもを産んで、夫婦ふたりきりで育てる日々を通じてやっとわかりました。
手続きは平日じゃないとできない。平日は夫は仕事。託児できる場所を探す体力もない。お金も惜しい。
そうなりゃ、子を抱えて自分で行くしかないんですよね。
誰とも会わずに手続きだけササッとして帰りたくても、顔を出さないと失礼だとか言ってくる輩もおりましょう(これがまた、年配の偉めの人だったりする)。
そうなりゃ、ヨックモックの詰め合わせのひとつでも持って、所属部署に行って、休ませてもらってすみませんと挨拶もするでしょう。
幸い私は会社勤めをしていないので免れることができましたが、もしもそういう状況に陥ったら、赤子をかわいいと言ってもらおうが、ブサイクだと言われようが、正直どうでもいい。
問題はそんなところじゃないもの。
「働く場所に子どもを連れて行くのは、ご迷惑だ……」と思っていても、そうせざるをえないママたちがいっぱいいる。
相手の事情をなにも考えていなかったことを反省しました。
ほかにもあります。
婚活がてんでうまくいっていなかったころの私は、SNSに子どもの写真をたくさんUPしている友人に対し、「そんなに自慢しなくても……」と、投稿が非表示になるよう設定することがありました。
でも我が子の写真をSNSに投稿したくなる今ならわかる。
「ほら、かわいいでしょ!?ほめて!」なんて気持ちではないんです。
子どもの変なリアクションがおもしろくて、「ちょっと見てよ」くらいの、空耳アワーに投稿したくなったり、VOWな写真をシェアしたりするくらいのノリなんです。
おもろいモン見つけたよ!っていうノリ。
確かにある意味「自慢」なのかもしれませんが、褒めてほしいなんて露ほども思っていないんです。
(とはいえ過去の自分の苦い感情は覚えているので、なかなか写真をUPできずにおります……)
無知を「責める」前に「紹介する」ステップがあってもいいのでは
とにかくもう、妊娠中からこういう体験がもりもりです。
とくに産後、平日に出かけたくなるシチュエーションに遭遇するたび、
「どうしても託児せずに出かけたいなら、子どもを連れて行かざるをえない」
という現実にぶち当たり、過去の自分がいかに想像力を持ち合わせていなかったかを反省しています。
この無知な感じ、妊娠出産関連だけにとどまっているとは思えません。
自分が思ったことをそのまま、こうしてブログに書いていますが、もしも私が政治家にでもなろうもんなら、過去の記事で文春砲を食らうに違いない。
そしてヤフコメで「こいつ、想像力足りてないぞ! 人格疑ったほうがいいぞ!」といった文字が踊りまくりそうです。
一般人の雑記ブログだからどうにかヌクヌクと生きていますが、私がうっかりアイドルにでもなっていたら、きっと大変なことになっていたでしょう。
(有名人は大変だ、ほんとうに)
自分の想像力欠如ぶりを悟ったいま、思うことがあります。
「相手に『想像力が足りていないなあ!』と言いたくなるようなシチュエーションに遭遇したときは、相手を責めない!」
「責める」のではなく、自分がどういう理由でマイナスな感情になっているのかを「この世の1ケース」として「伝える」ようにしたい。
「こういうふうに感じるやつもいるんだよ、サンプル1だよ」と「紹介する」に留めるのです。
SNSやYouTubeなどで誰でも不特定多数に対して意見を発信できるいま、発信主が「知らなかったこと」に対して、「想像力」という言葉を使ってボコボコに叱られる機会が多いように思います。
「責める」の前に「情報を与える」「知ってもらう」という行程がもっとあってもいいんじゃないかな……というのは、私が「叱られる側」の人間だからでしょうか。甘えた意見かなあ。
私には想像力が足りていない。
それでも少しずつ知識をたくわえて、ちょっとずつでも想像力を鍛えながら、ブログ更新をつづけていきたいです。