言いたいことやまやまです

2022年2月に出産した1985年生まれの主婦です。資料作成が好き。

育児日誌ブログ「母になっても言いたいことやまやまです」を毎週月曜日に更新中!

ベビーカー移動は当事者も周囲もモヤモヤしがち!ハッピー転換させるためのご提案

公共交通機関をベビーカーで快適に使うためにしたいこと

子どもが5kg前後になったあたりで「抱っこ紐オンリー」での移動が辛くなりました。最近はもっぱら、ベビーカーを使っています。

抱っこ紐のなにが辛いって、子どもが重いことに加え、おむつ替えセットやら着替えやらの「装備の重み」があることなのですよね。そして暑い。

その点、ベビーカーには荷物置き場があるのでかなり身軽になります。

ただし肩身は思いっきり狭くなりました。子どもがいなかったときには想像もできなかった世界を体感しています。

 

 

ベビーカーマークがあっても、ベビーカー移動はドキドキする

ベビーカー最大のネックは「移動時に面積を食うこと」

近所を移動する程度ならよいものの、公共交通機関を使うときは本当にドキドキします。

 

当然ながら通勤通学ラッシュ帯は外して移動していますが、平日の日中であっても、新宿のようなターミナル駅周辺を通る電車は混んでいることを初めて知りました。

ひとりで移動しているぶんには車内が「みっちり」していないかぎり「まあ、空いているほうかな」扱いだったのに、ベビーカーだと席がちらほら空いているレベルでないと「混んでいる!」と感じます。

バスもまた、意外と終日混んでいたりして……。

 

車内では、「ベビーカーを使っている人に思いやりの気持ちを」的なポスターが貼られているのをよく見かけます。でも私がその存在に気づいたのは「ベビーカーを使うようになってから」

そんな恥ずかしい事情もあり、(かつての私がそうであったように)みんなは「混んできたんだからベビーカー畳めよ!」という感覚を持っているのではないか……とソワソワしてしまいます。

 

冒頭に書いた通り、ベビーカーには荷物をいろいろ乗せられるため「自分自身は身軽になれる」点も気がかり。

「働きもしないで日中にふらふら出歩きやがって! ラクしてないで、荷物と子ども抱えてベビーカーを畳んで、慎ましく過ごせや!」くらいに思っている人も、きっといるだろうなあと想像してしまいます。

とはいえ実際にそういう方がいらしたとしても、思われているぶんにはノーダメージ。だから泳がせておけば良い、卑屈になる必要はない、とアタマで考えていても、心がなかなか追いつきません。

 

しかもこんなビビリのくせに、「安定感抜群だけれど畳みにくい」タイプのベビーカーを購入してしまったのですよね……。

そのため「混んできたからそろそろ畳むか」という臨機応変アクションが取れないのですが、それはこちらの事情。

「電車移動するなら畳みやすいセカンドベビーカーくらい用意しとけよ!」と注意されたらぐうの音も出ません。

 

ただ実は2014年3月、「電車やバスの中でも、ベビーカーを折り畳まなくてOK!」を意味する「ベビーカーマーク」が国交省で定められているのですよね。

【参考】「ベビーカーマーク」国交省が作成 車内でも使用可能に 畳む呼びかけはNG | ハフポスト NEWS

 

つまるところ、それ以前の親御さんたちは……

  • 公共交通機関を利用するときはベビーカーを畳まなければならなかった
  • いまほどエスカレーターやエレベーターが整備されていなかった
  • 赤ちゃんを抱えて、各種装備品が入ったバッグを提げて、かつ、ベビーカーを担いで階段を上り下りするのがあたりまえ

という地獄を見ているということ。

 

そんな世界で必死の子育てをしていれば、現役の親たちに「甘やかされすぎ!」という感情が湧いてもおかしくありません。

子育て当事者でなくても、「かつては慎ましやかに自分を犠牲にするのが当たり前だった親たちが、最近はどうも厚かましいぞ、ムカつくなあ!」という気分になる人がおられましょう……

助けてくれた人が「お助け損」になるのは悲しいから

そんなこんなで、私の自意識過剰グセもあいまって肩身狭く移動しています。

だからバス車内での居場所に迷ってオタオタしているとき、「ここ使いなさいよ!」と声をかけてくれたオバちゃんとか、電車内でなにを言うでもなくスッとスペースをあけてくれるお兄さんとか、エレベーターの扉を開けておいてくれる女子学生さんとか、ひとつひとつのご厚意が身に沁みます。マジで。

電車乗降時、扉脇スペースから一度降りてくれるだけで「なんていい人なんだ!」と感激ですよ。きっとどの親も、妊娠中からそう感じていると思います。

気を遣ってくださることが本当にありがたく、うれしいんです。言い過ぎかもしれないけれど、応援してもらっているという感覚さえ覚えます。

 

ひとつまえの項目では、私の被害妄想を語ってしまいました。

実際に「最近の親は厚かましいな!オイ!」とお怒りの方もいらっしゃるんでしょう。

でも社会的には、ベビーカーを押す親たちを含めた「困っている人」を助けてあたりまえ、というムードになってきているような。

ブログはじめ、各種SNSなどを通じて、「こんなマイノリティがいるんだよ」という情報が受発信されやすくなったことが影響しているんでしょうね。よいことです。

 

昨年の妊娠期から「助けてもらう側」になって思うのは、「助けてくれた方々に、もっといい想いをしてほしい」ということ。

席を譲ってくださるとか、ベビーカーを少し持ち上げてくださるとか、育休期間中に自分のぶんの業務を担ってくれるとか。

「助ける」の形は千差万別ではありますが、共通するのは、力なり時間なり、その人が持つなんらかを、我々に提供してくださっている点ではないでしょうか。

それは、ちょっと語弊があるかもしれないけれど「なんらかを犠牲にしてくれている」ということ。

だから助けられる側が「そのくらいしてくれて当たり前でしょ」と尊大に振る舞うようでは、助けてくれる人たちは損ばかりです。「もう親切になんてするもんか」と思ってしまう人もいるかもしれない。

せっかくなら「時間や体力を犠牲にしてでも、親切をしてよかった!」と思ってもらえたらいいな……と。

助けてもらったときはついつい「すみません」と言ってしまいがちだけど、きちんと「ありがとう」「助かりました」という感謝の弁を伝えていくことから始めています。せめてこのくらいはスマートにやっていきたい。まだまだ練習中の身ですが。

SNSには「悪口」ではなく「褒め口」を投稿してみないか?

ところで、「悪口」のほうが「褒め口(というのかな?)よりも、匿名のツイッターなどに投稿されやすくありませんか?

(話題になった「保育園落ちた日本死ね」投稿も、匿名掲示板ではありませんでしたっけ?はてなだっけ?)

SNSなどでもっと「褒め口」が投稿されるようになると、お助け行為のハードルも下がっていくのではないかなと思いました。

 

ちょっと前に「私には想像力が足りない」という記事を書きまして、そこには次のようなくだりがあります。

ゆる妊活~出産の行程を経たいま、私は自分が「想像力皆無人間」なのだと感じています。

その立場になってみないと、なんにもわからない人間だった!

想像力、持ち合わせていなかった!!

無自覚なままに想像力が欠如した言動をとって、いろんな人を傷つけて生きてきてしまったんだなあと、悔しい気持ちです。

当事者と同じ立場になってみないと、なにをしてもらうと嬉しいか、どんな助けを必要としているかなんて、わかりません。

 

もちろん「悪口」によって「なにをされたら嫌なのか」は把握できますが、「こういうことをしちゃだめ」というNGリストが増えていくばかりなのって、とてもじゃないけれどいい気分にはなれません(NG事項まみれの校則とか、むかつくではありませんか!)。

 

ならば逆に「褒め口」を増やして、「こういうことをすると喜んでもらえる」というHAPPYリストを増やしていくのはどうでしょう! というご提案です。

だって「電車のドア横ポジションの人が一度降りてくれた」レベルでも、電車から降りるのに必死なベビーカー女(私)は超HAPPYになるんです。

そんな感じの「褒め口」投稿をきっかけに「この程度でもうれしいの? じゃ、それならやってみようかな」と思ってもらえて、実践して、感謝されて……という好循環がうまれたら、みんなの精神衛生環境がよくなるのではないか!?

 

「こんな素敵な人がいた、うれしかったよありがとう」というTwitter投稿を見かける機会、すでにあると思います。

私はあの手のエピソードを読んでほっこりすることはあっても、胸糞悪くなることはありませんでした。それだけでも「褒め口」って価値があります。断言する。

 

ベビーカー移動は肩身が狭いし、こっちも周りも、それぞれに嫌な想いをすることがいっぱい!

そういうふうにならないよう、いちベビーカーユーザーとして細心の注意を払って過ごしているものの、みなさんがどういうとき舌打ち気分になるのか、想像力が足りていないことが多々あります。すみません。

でもせっかくなら「ベビーカー母ちゃんがこういうふうにしていて、好ましかったよ」という褒め口で、みなさんのお気持ちを学んでいきたいです。

 

お互いに「こんな小さなHAPPYがあったよ」という報告を発信しあって、「助けてよかった」「ありがたかった」というほっこり気分を高めていけたらいいなと思っております。共感してくださる方がいらしたらうれしいなあ。