言いたいことやまやまです

2022年2月に出産した1985年生まれの主婦です。資料作成が好き。

育児日誌ブログ「母になっても言いたいことやまやまです」を毎週月曜日に更新中!

子なし専業主婦の「肩身の狭さ」は気持ちを切り替えれば克服できる

子のいない専業主婦の私は、ちょっと油断して体調を崩そうものなら

「私は子どもがいないのに働いてもおらず、夫の稼いだ金を食いつぶすダメ人間だ」

というネガティブ思考に陥ります。

私と同じ子なし専業主婦の友人とやりとりをした際、上記の罪悪感について「わかる」という声が返ってきました。

その流れで思いついたのが、「大人なら重いリュックを背負っていて当然!」という妄想です。

大人なら重いリュックを背負っていて当然!物語

妄想の内容は、こうです。

仕事、子育てという重いリュックを背負っていない私は、とても身軽。しかしどうにも肩身が狭い。

多くの「なんらかのリュックを背負っている人たち」から、怠け者だと指をさされているような心地になります。

重そうなリュックを背負っている人は、「がんばっている人」で、「すごい人」。一目置かれているように見えます。

「ギョーカイ人」という部族のなかには、「俺のリュックって超~~~重いから、肩に”リュック痕”ついちゃったゼ!」と、遠山の金さんよろしく肩の紋様を見せつけてくる輩などもいるようです。

その一方で、「リュックを背負って歩くのはしんどいけれど、なんだかんだ言ってそんな生き方が好きだ!」という人たちもいます。私のイメージでは、NHKの「プロフェッショナル」あたりから取材がきてしまうような人たち。

愛用のリュックが破けそうになっても、ときに丁寧に、ときに応急処置的に繕いながら、真剣な眼差しで楽しそうに生きていく彼らの様子が、私には羨ましい。

どうして私をリュック好き人間にしてくれなかったんだ! と神を責めたくもなります。

近年は仕事&子育てのWリュック体制でがんばっている人たちがたくさんいます。

Wどころか、たったひとつもリュックを背負っていない私。「みんな我慢して重いリュックを背負っているのに、おまえは甘え過ぎだ! 子どもじゃないんだから!」と責められている気がしてしまうのです。

そうした罪悪感から逃れたいという理由だけで、リュックを背負うのか、背負わないのか……!? 結末はいかに!

罪悪感を抱く暇があるなら感謝をする

Web検索すると、子なし専業主婦を見下す言葉がたくさん見つかります。「なにして生きているんだろう」とか。このやろう、息吸ったり吐いたりして生きとるわ!

そうした情報をキャッチしてしまうのは、自分のなかに罪悪感があるからです。

そんなに罪の意識にさいなまれるのであれば、再び働きはじめるとか、妊活を超がんばるとか、「自ら望んでリュックを背負う」こともできます。

さあ、どうしよう?

体裁を繕うことが目的になっているようであれば、罪悪感から逃げることはできても、その先には別の苦しさ、我慢、虚しさが待っているに違いありません。

ニュースなどを通じて「リュックを背負っていかないと生き抜けない」状況にある人たちがいることも、知っています。すごいな、立派だな、と思わされることもしばしばです。

でも、その「心の動き」と「自分自身の生き方」は別の話。彼らと比較して、「自分はなにも我慢をしていないからダメ人間だ」などと自己否定する必要はありません。

「手ぶら」でも生きられるだなんて、たしかにとても恵まれています。でもそこで申し訳なさに浸るのは、ちょっと違うと思う。罪悪感はなにも生み出しません。

悲劇のヒロインぶる時間があるなら、そのパワーを「感謝」に変換したほうが、世のため人のため自分のためになる!

私はまったくお金を稼げていないけれど、夫のスネをかじって生きているけれど、その環境に感謝して、毎日楽しく過ごしたいと思います。

(仕事や肩書きを尋ねられるときはちょっと抵抗感があるのですが、もっと厚かましく生きられるようになってやるぞ(笑))

指差してヒソヒソと嫌味を言うような奴は遠ざけます。日本だけで1億2,000万人もの人がいるのです。そいつらと仲良くする暇などありません!

とはいえ、それが知らない人ならいいにしても、友人や家族だったりするとなかなか難しいところもありますよね。そのあたりはまだ考えがありません。おいおい考える。今日はひとまずここまででございます。

罪悪感でしんどい専業主婦仲間のみなさん! ともに楽しく生きていこう! 我々に余裕があるから、いざというときに誰かの助けになれるんだぜ!