2月8日の出産からあっという間に1か月です。
この記事は日曜日の午後、夫に少し「ひとりになる時間」をもらって、喫茶店で書いています。
こういう時間が本当に本当に贅沢なものであることを実感している最中です!
- 「自分の時間がなくなる」のが嫌で、出産を躊躇っていた
- 産後、これまでのようにブログを書く時間がなくなった
- ブログの書き方を変えてみた
- 対策は万全だったのに、産後の心身は蝕まれていった
- 疲れていると、他人と比較して自分を傷つけたくなる
- 子育ては辛い、しんどい、けれど
- 「幸せ」ってこういうことだったのか
「自分の時間がなくなる」のが嫌で、出産を躊躇っていた
出産前は、こうなること(自分の時間が「貴重」化してしまうこと)がとても怖かったのです。
ひとりでぶらっと喫茶店に立ち寄って、考え事をしたり読書をしたり、こうしてブログを書いたりする時間がとても好きでした。
子どもを産めばそんな時間がなくなってしまう。
生きがいが奪われるような気がしていました。
産んでみたらたしかに、自分の時間がゼロに。
でもがんばってYouTubeやらInstagramやらを更新している新米母ちゃんたちはたくさんいるわけで、ブログを更新できないのは自分の努力や工夫が不足しているからだ!
PCがなきゃブログが書けない、まとまった時間がないと記事が書けないだなんて、旧人類そのものだ!
己をアップデートするチャンスくらいに思ってがんばってみろ!
……と自分に発破をかけて、朝4時、もしくは7時の授乳が終わったあとの静かなタイミングを見計らってブログを書き進めることにしてみました。
産後、これまでのようにブログを書く時間がなくなった
記憶が新鮮なうちにまとめておきたかった、「私の無痛分娩体験レポ」。
しかしいまここに公開している記事は、違うものです。
「早朝の授乳後ブログ習慣」を実践してわかったのは、いまの私にとって、体験レポート記事のような「情報をある程度まとめたもの」の更新はとっても難しい! ということでした。
1日に加筆できる量は500字あるかどうか。
なにせ、ブログのような「やりたいこと」のほかに、たくさんの「やらねばならぬこと」もあるのです。
確定申告とか、家計簿管理とか、メール返信とか。
そんななかでの記事加筆は細切れ作業です。
エッセイブロガーですから、アフィリエイターさんとは異なり、ブログを更新したからといってなにも収益は得られません。
そうなると優先度も下がってきます。
そんな状況で細切れ加筆作業を再開させる。
すると記事をその都度最初から読み直してしまい、水前寺清子じゃありませんが「3歩進んで2歩下がる」状態に……。
ゴールが一向に見えなくなって、ブログ更新は単なる苦行になってしまったのでした。
ブログの書き方を変えてみた
この記事はいま、喫茶店で、友だちに愚痴を話すような感覚で、思いついた言葉をそのまま打ち込んでいます。
さすがに店内のみなさんに変人だと思われたくないので発声こそしていませんが、音声入力をしているような気分です。
そうしたら、もう、この時点で800字を超えてしまいました!
あっという間です。時間をはかっておけばよかった。
無痛分娩レポートとは異なり、なんの情報もない記事になっています。
一部のプロブロガーさんには見下されそうな、誰にも求められていない「凡人の日記記事」です。
でもこれを書きながら、「なんらかの言葉を、文字を、ブログに吐き出す」ことが私にとっては大きなデトックス行為なのだと再認識できました。
それで十分じゃないか。
(そりゃ本音は、私だって収益ほしいし、求められる存在になりたいけど、無理なもんは無理よね。高望みしないことが幸せの近道!)
対策は万全だったのに、産後の心身は蝕まれていった
産後の体力回復やコロナ(オミクロン株)の影響もあり、病院と役所に行く以外、外出はゼロでした。
その2か所に行くだけでもヘトヘトになってしまって、基本的には1日中パジャマで家のなかで過ごしています。
(少しはシャッキリしようと思い、産後3週目から、上半身だけは着替えるようにしました)
あいにく夫は育休が取れず、在宅勤務の身ではあるものの、平日の日中は育児に携われません。
(とはいえ、どんなに忙しくても沐浴をまるっと担当してくれるし、床のクイックルワイパーなどの家事も手伝ってくれています。ありがたい)
(育休が取りたかったのに業務の都合で取れなかった人へのなんらかのお詫びというか、ご褒美というか、そういう制度ほしい)
彼の業務に支障が出てもいけないし、夫の胸から母乳ならぬ父乳が出るわけもないので、夜間授乳は当然私の担当です。
「まとめて眠れない」ことがこんなにも心身を蝕んでくるとは思いもしませんでした。
妊娠後期、一睡もできない日が多々ありました。
しかし昼寝をすればそれなりに元気に過ごせていたので甘くみていたのです。
おそらく、眠っていながらも「いつ我が子が泣き出すだろうか」と神経を尖らせているから、身体が休まらないのでしょうね。
産後1週間で身体にガタがきて(膀胱炎)、病院に宿泊させてもらえる「産後ケア入院」制度で2泊3日、心身を休ませてもらいました。
産後3週目からは「産後ドゥーラ」さんという、母ちゃんたちの家事を助けてくれるヘルパーさんにも週1~2で来てもらうように。
ところが産後1ヶ月を迎えようといういま、またしても限界を迎えました。
赤ちゃんはとてもかわいい。
けれど私の時間がまったくない日々に消耗しきったようでした。
疲れていると、他人と比較して自分を傷つけたくなる
夫は激務のなかで戦っています。
並行して育児もがんばってくれている。
なのに「私だって土日祝日がほしい、ずるい」という気持ちになっている自分がいました。
そんなことを思うなら、明るく楽しそうに「赤ちゃんのお世話、替わって~!」とお願いして休めばいいのです。
でも気持ちがやられていると、どんどん自分が苦しくなるように仕向けてしまう。
「夫のほうが大変だ。
平日はお金を稼ぐために自分の時間ゼロで働いてくれている。
私は子どもの世話をすればいいだけだし、お金も稼げない。
だから土日祝だって、私が子どもの世話をしながら家事をするべきなのだ。
夫には貴重な休日にしっかり休んでもらうべきなのだ。」
そう思っていました。
そして我が子は本当に気が利く良い子だと思います。
妊娠中もトラブルを起こさず、お産はスーパースムーズ。
日中はぐずることが多いけれど、夜はちゃんと眠ってくれる。
だから
「昼夜逆転のお子さんが多いなか、私は本当に恵まれた母なのだ。
もっと大変な母ちゃんたちがたくさんいるのだ。
だから私ごときがわがままを言ってはいけない」
と思いました。
そう思っているのに、辛くてついついTwitterで愚痴ってしまう自分や、笑顔で過ごせず夫に気を遣わせてしまう自分はなんというクソ人間なのだろう!
そうやってどんどん自分が悲しくなるように、辛くなるようにしてしまいました。
でも長年カウンセリングのお世話になっているおかげか、
「ああ、疲れると私は他人と比較して自分を貶めたり、自分が楽しくなくなるように仕向ける傾向があるぞ、まさにいま、そうなっているぞ」
と気づけたのです。これがよかった。
子育ては辛い、しんどい、けれど
そして話は冒頭にもどる。
夫にとっては貴重な休日、日曜日です。
彼にだって、平日にできない「やらねばならぬこと」がたくさんあるのですが、私を快く喫茶店に送り出してくれました。ありがたい。
最初はその提案を断っていたのですが、これもまた、「しんどいときほど自分を貶める傾向」の表れですよね。
思いきって外に出てきて、この記事を打っているのです。
産前の私は、自分の時間が持てなくなることに恐怖ばかり抱いていました。
でも当事者になってみると、感じ方は予想していたものとちょっと違うなあと、喫茶店で一服して(タバコは吸ってないよ)しみじみ感じているのです。
そりゃもう、めちゃくちゃしんどい。これは間違いない。
まとめて寝たい。おっぱい痛い。膀胱炎しんどい。そのうえ水分不足で切れ痔ときた。せっかく買った「エガちゃんねる」の本も全然読めない。
なにより、まともに食事もできない!
だけど我が子は言葉にしがたい愛おしさがあります。
かわいいという言葉では言い表せない。
これがかの「プライスレス」か!
そして貴重な外出時間だからこそ、これまでたいしたありがたみも感じずに飲んでいたコーヒーが、すんごくおいしい。
ブログ記事も、いつもの倍速くらいで書けています。
まあ、内容はしょうもないけどな!
「幸せ」ってこういうことだったのか
産前は「大変そう」「自分が犠牲になる」と思っていたけれど、そうじゃなくて、「人生の濃度がめちゃくちゃ上がる」ということだったのですね。
1日24時間でこなせないほど、濃い。
それはもちろん「辛い」と言い換えることもできるけれど、「幸せ」と変換することもできるよなと、いまは感じています。
「幸せ」というのは、「桃源郷で酒飲んで姉ちゃんはべらせてハッピッピー」みたいな極楽のことを指すのではなかったのだなあ。
幸せって、しんどかったんだねえ。
明日はいよいよ1ヶ月健診。
クリアすれば、子を連れてのお散歩もできるようになります。
またまた幸せ度が上がるのでしょう。
それはつまり、心身のパワーもさらに必要になるってことで……
うれしいやら怖いやらですが、ありがたいのは間違いない!
「夫のほうが大変なんだから」
「私は所詮、お金を稼げない主婦なんだから」
「私より大変なお母さんたちばっかりなんだから」
を理由にして自分を我慢させる癖が出ないように、ポジティブな意味で自分を甘やかしながら、幸せを堪能していきたいと思います。