こんばんは、自分語りの時間です。
「ほら私って、自分語りが好きじゃないですか~」
には「知らねえよ」で返すのが世の常、人の常、私の常です。人と相対する際、相手となんのつながりもない自分の趣味を語るというのは、私にとってはなかなか考えにくいことでした。
アニメを観ない人に「Zガンダムを観ているんです!カツの散り方といったらひどいものでしたね!」なんて言ったって話はほぼ絶対膨らみません。むしろ相手に「相槌の苦痛」を味わわせることになり迷惑になりかねません。
しかし最近、自分語りに可能性を感じはじめました。
お世話になっている整骨院でそう思ったのです。
整骨院に行く途中、必ず私は憂鬱になります。どうせ絶対、今日も先生から「AppleWatchってやっぱりいいっすか!?」と聞かれるからです。それほどAppleWatch通ではないので「はい、良いです」以上の回答はできませんし、彼にはこれまで何度もそのように返答してきています。それなのにまた起こるであろうAppleWatch問答を想って、疲れて、憂鬱になるのです。
その整骨院にはその方以外にも複数の先生がいて、まれに院長先生が直々に診てくださるのですが、AppleWatch問答にはなりません。会話でしんどさを感じたことがない。
では彼がどれだけ有益な話をするのか。どんな話でもてなしてくれるのか。その答えは「風水」です。
そう、先日は「たまたま院内の運気を風水の先生に診てもらった」という話を聞いてきたのでした。聞かされたと言ってもいい。こちらにはあまり話を振ってくれません。先生の風水日記が一方的に話されます。
大笑いできるような話でもありませんし、それほど役に立つ情報もないのです。私が風水に関心を持っていないからというのもあります。でも、なんだか聞いてしまうし、話を振られない=詮索されないということでもあり、リラックスできます。
翻って私の話。
つい先日ある方とお会いした際、文脈関係なしに、私は思いつきで話をしたのでした。今度この飲食店に行くのだ、という話です。行ってきた感想ではなく、これから行くという宣言です。
相手がまだそれほど仲良くない方だったら、絶対そんな話はしなかったでしょう。信頼していて心をひらいている方だったので、油断してうかつにもそんな「どうにも調理のしようがない話」をしてしまいました。
でもなんとなく、その場がほっこりおだやかになったような気がします。少なくともその場はギスギスしませんでした。
相対する方のキャラクターにも左右されるでしょうが、「私って●●じゃないですかあ~」という押し付け型でなければ、「自分語り」はけっこういいものなのではないかと思いました。
「相手に話を振る」ことが大事なように思いがちですが、質問にこたえるというのは、実はしんどい脳処理が行われていて、面倒くさくなるもの。「聞くに徹させてあげる」のもまた、おもてなしです。
「自分語り野郎、面倒くさいな」 と思われることに臆せず、どんどん自分語りをしてみようかなと思います。
といったような話をPodcastでも配信していました。