『NVC 人と人との関係にいのちを吹き込む法 新版』の要約シリーズ、第2回目です。
それぞれの記事を単独でお読みいただけるように書きますので、さかのぼっていただく必要はありません。
でも、もしご興味をお持ちいただけましたら第1回目もぜひ! そちらでは「そもそもNVCってなに?」という全体像をご紹介しています。
NVC(非暴力コミュニケーション/共感コミュニケーション)の肝は、
- 観察
- 感情
- 必要(ニーズ)
- 要求
という4要素でコミュニケーションを構成することにあります。
なにか嫌な出来事に遭遇したときを想像して、それを4要素に分解しながら考えていきましょう。
NVCで推奨される「観察」とは
まずは「観察」から。
嫌な出来事を誰かに愚痴ること、ありますよね。そのとき必ず「話を聞いてくれる相手に状況を説明する」段階を経るはずです。
事実に評価や脚色を加えることなく伝えるのがベストですが、これがなかなか難しい……というのが、「観察」という項目で伝えたいことです。
下の図をご覧ください。
青と赤、それぞれ同じ事象について観察した言葉が書かれているのですが、そこから受ける印象はだいぶ異なるものになります。
1つ目の文章をとりあげてみましょう。赤い方から先に紹介します。
赤:「彼はサッカーが下手だ」
これには、観察に加えて「話している人の評価」が多分に含まれてしまっています。NVCでいうところの「暴力コミュニケーション」です。
これに対して青の「非暴力コミュニケーション」だと、どうなるでしょう。
青:「彼はサッカーの試合に20回出場して、一度もゴールをしていない」
多少まだるっこしい印象を受けるかもしれませんが(笑)、客観的事実だけが述べられています。
例をもうひとつ。
赤(評価が混ざっている):彼女はブサイクだ
青(事実だけを伝える):彼女の外見は私にとっては魅力的ではない
ここからは書籍に記載されていたことではなく私の感想になりますが、評価が含まれている赤い方の表現は、「逃れられない」印象を受けます。
逆に事実だけを述べる青い表現は、「逃げしろ」のようなものを感じるのです。「別の可能性」と言い換えてもいい。
「あなたはそう判断するかもしれないけれど、他の人にとっては違うかもよ」と思えたり、「たまたま、いまこういう状況にあるだけ」と思えたりしませんか。
「評価」という暴力
そもそも、「評価をされる」ことにあまりよい印象を受けないことも多いのではないでしょうか。
学校や会社などで評価される機会は多々ありますが、それは「教える者と学ぶ者」「給料をあげる側ともらう側」のような構造があって初めて受け入れられるものです。
自分にとって権威でもなんでもない人が「あの人はセンスが悪い」などと言っているのを聞いて、「それを言う貴様は何様なんじゃい」と不快になること、私はあります(たまにね!!)。
「評価」というのは、本来なら比べることのできない「人の価値」に「順位」や「軽重」のようなフィルタを通す行為です。まさにNVCでいうところの「暴力」!
コミュニケーションする際に「評価をまじえず、観察した事実だけを伝える」ことに気をつければ、不毛な諍いは確実に減ります。
加えて、なにかの出来事に遭遇した自分が心のなかで唱える言葉、つまるところ「自分に向けたコミュニケーション」でもNVC的な観察を大事にすると、罪悪感や自責感、怒り、苛立ちといったネガティブな感情が起こりにくくなるはずです。
たとえば上司に「おまえみたいにミスが多いやつは初めてだ!」などと嫌味を言われたとき、「私はダメな人間だ」と反芻してしまうのはおすすめしません。
「あの上司が私に向かって”おまえみたいにミスが多いやつは初めてだ”と言った」までにとどめたいところです。あの上司にとって自分はそう映るのかもしれないけれど、別の上司や先輩、同僚にとっては違うかもしれない、という「可能性」が残されます。
ちょっとした差ですが、塵も積もれば自己肯定感に影響を与えることになるのではないでしょうか。
「正しさ」なんかより「自分の感情」を伝えるほうがずっと大事
NVCの構成要素の2つ目は「感情」です。
前述の「観察」の結果、自分のなかにどのような感情が湧き上がっているのか。それを見極めてコミュニケーションのなかで伝えることが大切だとされています。
誰でもいつでもやっていることのように思えますが、協調性を重んじ、出る杭は打たれるムードが強い日本においては、できていないことのほうが多いはずなのです。
その詳細はのちほどお伝えするとして、次の2つの文章をご覧ください。「感情を伝えている」のはどちらの表現でしょうか。
- あなたが挨拶してくれないと、私は無視されたように感じる。
- あなたが挨拶してくれないと、私は寂しい。
書籍のなかでは「2」が感情を伝える表現だと記載されています。
「~と感じる」という伝え方をしている場合、その多くは「感情」ではなく「思考」を述べていることが多いそうです。
その理由を図にまとめました。
「感情を伝える」とは、「自分がどう感じているかを伝えること」です。
至極あたりまえのことを書いていますが、社会に蔓延している「正しさこそが正義」というムードのせいもあって、「自分がどう感じているか」ではなく「本来ならこうあるべき」という「思考」が述べられがちなのです。
先の例は典型的です。
「あなたが挨拶してくれないと、私は無視されたように感じる。」
「人に会ったら挨拶をするのがマナー」という「正しい考え方」が挟まってしまっているがゆえに、本来の「寂しい」という感情が隠されてしまっています。
本当は寂しいのに、こんな伝え方をしたせいで相手が「怒っているのだ」と受け止めて、そこから疎遠になる可能性があります。諍いの種が生まれやすくなるかもしれません。
いろいろ書いてしまいましたが、改めて、シンプルに感じ取ってみましょう。
- あなたが挨拶してくれないと、私は無視されたように感じる。
- あなたが挨拶してくれないと、私は寂しい。
あなたが挨拶したくなるのは、どちらの表現を用いられたときでしょうか。私は「2」。「観察」の項目で注意したいと書いた「評価」の話と同じことです。
正しさを押し付けても、相手は受け入れるどころか反発します。素直な感情を伝えることで、相手も反応しやすくなるのです。
感情よりも「正しさ」を優先し、武器のように振りかざすのは「暴力」です。
次回もよろしくお願いします & 書籍のご紹介
NVCを構成する4要素のうち「観察」「感情」について、書籍の要点をまとめました。「必要」「要求」については次回以降でまとめます。
書籍『NVC 人と人との関係にいのちを吹き込む法 新版』で説かれているコミュニケーション術を知っていると、生きやすくなると思います。
新生活がはじまった皆さまにもおすすめしたい1冊です。