- 「こうするべき!」の「べき思考」を抱えて生きている
- 「自分をゆるせ」と言われても
- 「自分を責める」を変える
- 「まちがいさがし」からの「まちがいなおし」
- 自責の代わりに「まちがいさがし」、他責の代わりに「願望さがし」
- 5月9日のオンラインセミナーにも参加します
- その他「悩みがちのおうち時間」におすすめの記事
「こうするべき!」の「べき思考」を抱えて生きている
2020年5月7日現在、noteで「妖怪べきねばに追われています」というマガジンを公開しています。
「妖怪べきねば」は ©水木しげる様 ではありません。私の日々の悩みから生み出された存在です。世間体を気にした「正しさ」を振りかざし、そこに従うために「こうするべき!」「こうやらねば!」と、どこぞの女将のように絶えず耳元で囁いてくる妖怪です。
生まれてこのかた、とくにアルバイトを始めて社会との接点を持ってからというもの、私は妖怪べきねばの影響を受け続けてきました。
他人と自分を比較して落ち込んだり、暗黙のルールに従っていない他者を罰したくなったり(なんでこんなに気が利かないんだろう!とか)、「体裁をつくろう」ために「怒られない仕事(≠いい仕事)」をしたり、とにかく「べき」と「ねば」に振り回されながら生きています。
詳細なエピソードについては、よかったらnoteをご覧いただけると幸いです。
(せきららに書いたので私のことが嫌いになるかもしれませんが、またここで見栄を張っても仕方ないので、それは受け入れます)
▼こちらです。電子書籍化の準備中。書籍化後、削除予定です
「自分をゆるせ」と言われても
自分と他人を罰しているのは私自身の「べき思考」です。これさえなければラクに生きられるはずなのです。
メンタル系の本やブログを読んでいると、きまって「自分をゆるす」とか「がんばらなくていい」といった言葉に出会います。
ゆるす、ゆるめる、解放する……どれも「耳触り」ならぬ「目触り」のよい文字なのですが、これまでそれができていなかったから「妖怪べきねば」が立ち去ってくれていないんじゃないか!と常々思っていました。
ゆるす、ゆるめる、解放する。どれも引き算の行動です。一方で日々悩まされている、反省、叱責、順位付けなどは足し算の行動だといえます。能動的と書いたほうがしっくりきますでしょうか。わざわざ頭をフル回転させて、ターゲットを定めて、攻撃をしているのです。
そんな状況で「自分をゆるしましょう」というのは、短気で喧嘩っ早い兄ちゃんに「さあ、禅の心を学びましょう」と言っているのと同じだと思うのです。
初回は必死に貧乏ゆすりをしながら臨むかもしれませんが、誰がどう見ても無理があります。いつもだったら発散させているはずのエネルギーを溜め込んでしまっているわけですから。どこかできっと爆発します。
つまり言いたいのは、「代替行動を提案してくれないと厳しいぞ」ということです。「禅の心」方向にシフトしつつも、あり余っているエネルギーをちゃんと発散させる。そうした提案があれば、時間をかけて少しずつマインドチェンジできるのではないかと思いました。
「自分を責める」を変える
話が脱線しますが、3月末から4月半ばにかけて、私は人間関係で悩んでいました。
コロナの件で延期されていますが、4月から新しい仕事をはじめることになり、そこでの人間関係に不安を覚えていたのです。35歳にして未経験の業界、上下関係も厳しい環境です。昔からとにかく怒られるのが苦手で、すぐに萎縮してしまう癖があります。
東京では4月7日に緊急事態宣言が出てほとんど家から外出できなくなったこともあり、先月中旬にオンラインセミナーを受講しました。テーマは「コミュニケーション嫌いを克服する」。そこでこんなキーワードに出会ったのです。
「自分を責めない」
「反省ではなく、”間違いの修正”に努める」
怒られて萎縮してしまうのは、自分を責めているから。至極シンプルな話です。心理学の世界で「ABC理論」と呼ばれているものになぞらえて、説明を受けました。
ABC理論の詳細は下記のリンク先(図解あり!)をご覧いただければと思いますが、物事の受け取り方をABCのステップにわけて考えることから始まる理論だそうです。
- A(Activating Event):出来事
- B(Belief):信念
- C(Consequense):結果
私は英語がまったくできませんが、そんな者からしてみても「これ、きれいにABCが頭文字にくるように無理やり単語を選んでるんだろうな」と思います。自然なあいうえお作文というのは、どの国でも難しいんだなあ。
余談はさておき、肝心要なのは「B(信念)」だということです。同じ出来事でも、どんな「信念」で処理をするか次第で「よろこばしい出来事」になったり「イラつく出来事」になったりするという話です(信念というより「感じ方」「受け止め方」のほうがわかりやすい)。
「叱られて萎縮する」のは、「叱られる」という出来事を「強烈な自責」で処理するからです。
まばたきするより早く、「自分はなんてダメな人間だ」「信用を失った」「再び失敗することがあったら見捨てられる」といった自責感情が湧いてしまい、結果、猛烈な絶望感や手の震え、鼓動の早まりといった心身変化をもたらします。
Bのステップで「自分を責める」ことをやめれば、コミュニケーションの悩みは減るはずだ、という話です。
では責める代わりに何をするか?「まちがいさがし」です。どうぞ、菅田将暉さんの曲をBGMにおかけください。
「まちがいさがし」からの「まちがいなおし」
とにかく、叱られたときに自分を責めない。
自分は悪くないと、ケロッとしていていいのです。責めるのに使うはずだった労力を「まちがいさがし」に回しましょう。
たとえば……私は先日、自宅のカギをなくしました(通算3度目)。当然ながら家族に叱られましたが、このときの「まちがい」は「カギをなくしたこと」なのでしょうか? 私は、自分を責める代わりに「まちがい」を考えました。
「カギをなくしたからいけない」んじゃないと思うのです。「危機管理意識の乏しさ」「過去に2度もなくしているのに対策していなかったこと」などなど、「まちがい」候補はいろいろあります。そしてそこには正解がありません。自分が納得いく答えにたどり着けるかが勝負です。
私は「気をつければ紛失を防げると思っていた」ことを「まちがい」として認定しました。
次に行うのは「まちがいの修正」です。カギをなくしてしまうのは私の習性だと受け入れ、他力本願で乗り越えることにしました。紛失防止デバイスをカギに取り付けることにしたのです。
私にとっては納得のいく「まちがいの修正」 でしたので、自分への絶望感はほとんどありませんでした。むしろ「やれることをやっている!」という誇らしさのほうが強かったかもしれません。
もちろん叱られて怖かったのはありますが、「それだけ」でした。引きずりませんでした。だって、できることをやっているのですから!
申し訳無さそうに振る舞う時間をつくらずに済んだので、いつもどおりにブログを書いたり、本を読んだりして過ごすことができました。
(こういうときにケロッとしていると、人によっては「反省の色が見えない!」といって怒るのでしょうね……その対策までは手が回っておりません……)
自責の代わりに「まちがいさがし」、他責の代わりに「願望さがし」
この「責めない」「間違いを探す」「修正する」のステップは、「べき思考」対策にも有効だと感じました。
イメージとしてはこうです。
自分を責めてしまうときは前述のとおり「まちがいさがし」に労力を回し、他人を責めてしまいそうなときは「本当はその人にどういうことをしてほしかったのか」という「願望さがし」に労力を回します。
緊急事態宣言が開ける6月から、この考え方を使って新たなお仕事にチャレンジしてみます。
5月9日のオンラインセミナーにも参加します
4月に「自分を責めない」考えと行動について学ばせてもらったのは、「グッドバイブス勉強会」というトークライブ形式のオンラインセミナーです。
主催は、私のバイブルのひとつ『グッドバイブス ご機嫌な仕事』の著者である倉園佳三さんと、心理学ジャーナリストの佐々木正悟さん。
次回は5月9日17時から開催とのことで、私も受講します(2,200円とお手頃価格です)。
テーマが「自分の心を大掃除」とのことなのですが、要は「過去の嫌な体験を一掃すれば、”トラウマ”のような症状はなくなる!」という話ではないかと思います。
私は「怒られると萎縮していつもどおりに動けなくなってしまう」癖があるので、これを解決できたらいいなと思っています。
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