Twitterトレンドでこんな記事が話題になっていました。
料理に不慣れなご主人がしいたけを水洗いしているのを目撃し、
「前も言ったけど、きのこ類は水洗いしないんだよ」
と奥さまが指摘すると、
「わかった、でもその”前も言ったけど”って二度と言わないで」
と返答され、奥さまは自分の言葉選びを反省したというエピソードです。
いま勉強中のNVC(NonViolent Communication/非暴力コミュニケーション)を使うのにもってこいの題材でした。
「前も言ったけど」という暴力コミュニケーション
前述の記事は、「前も言ったけど」と言ってしまう人、言われてしまう人、両方からの共感の嵐でトレンド入りしました。
今回の事例はまさに暴力コミュニケーションです。言われた人のみならず、言う人の心も痛めつけています。
どのあたりが暴力的かって、「あきらかに不快感を表明しているのに、具体的にどうしてほしいかを伝えていない」点です。
相手が日本語勉強中の外国人だったら、ニュアンスをつかめずに「そうなんだね、ありがとう」で終わってしまい、奥さまの怒りはヒートアップしていたかもしれません。
なにをしてほしいか伝えていないのに「ありがとう」の返事でイライラするなんておかしな話なのですが、こうして「言った人」の心も蝕まれてしまうのです。
非暴力コミュニケーションに必要な要素が抜け落ちている
NVCではコミュニケーションを「観察」「感情」「ニーズ」「手段」という4工程にわけて考えます。
その際にやっかいなのが、
- 「評価」を混ぜがち
- 「感情」と「ニーズ」をすっ飛ばして「手段」だけを訴える(そして断られると気分が悪くなる)
- 「手段」さえも提示せず、何を求めているか察させる
という点だと思っています。今回の事例では3)が問題です。
「前も言ったけど、きのこ類は水洗いしないんだよ」
という言葉には、「感情」「ニーズ」「手段」が抜け落ちています。
(個人的には、ニーズは必ずしも伝える必要はないと思いますが)
「前も言ったけど」と言いながら、目の前の現実を「失敗していた過去」に重ねて見つめていたのであれば、「観察」も不完全です。
とくに「手段」が提示されないと、言われたほうはどうしたらいいかわかりません。
その上、なにも言っていないくせに心のなかでは「求めている言動」があるものだから、相手がそれを外すとまた不機嫌になる。最悪です。
言われたほうにしてみれば、相手の顔色を伺いながら模索するというのは大変なストレスになります。
NVCに則ってセリフを考え直してみた
奥さまになりきって、前述の言葉に「観察」「感情」「ニーズ」「手段」を加えてアレンジすると
「前回と同じ失敗をしていて、あなたのことを信頼したかったから、私ちょっとがっかりしている。
きのこ類は水溶性ビタミンだから水で洗うと栄養が十分取れないし、風味も落ちちゃうの。もったいないから、もうきのこ類は洗わないでほしい」
……なんともクドいのですが、NVC勉強中の身ということでお許しください。
「前回と同じ失敗をしている」のは解釈を交えていない事実です。
きのこを水で洗うご主人を見て、奥さまはきっと呆れたはず。なんでこんな気持ちになってしまうかって、「ご主人のことを信頼していたい」というニーズがあるからではないでしょうか。
「もうきのこは洗わないで」というのは、「信頼したい」というニーズを満たすための手段です。
ビタミン云々は、ただ「洗わないで」と決まりを押し付けるよりも、洗うと残念な理由を添えたほうが伝わるだろうと思って付け加えました。
ご主人の返答だった
「うんわかった、ごめんね。あとさ、その”前も言ったけど”ってやつ、一生言わないで」
には「観察(前も言ったけどってやつ)」と「手段(一生言わないで)」が含まれているので、奥さまに意図が伝わったのだと思います。
「感情」「ニーズ」を付加すると、「おれのことを尊重してほしいから、そういう言い方をされると惨めで辛くなる」などでしょうか。
NVCで相手も自分もハッピーにしたい
いろいろと偉そうなことを書きましたが、他人の事例をNVCに則って考えると、自分自身が日々どれだけ暴力的なコミュニケーションをとっているかがよくわかります。
最近下記の本を毎日読んで、勉強しています。
コミュニケーション上手は自分のことをいたわるのが上手な人でもあると思います。NVCで自分と周囲をハッピーにできるようになりたいです。